神田松之丞×尾崎世界観 講談師と音楽家を突き動かすもの

対談・鼎談

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絶滅危惧職、講談師を生きる

『絶滅危惧職、講談師を生きる』

著者
神田 松之丞 [著]/杉江 松恋 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、評論、随筆、その他
ISBN
9784103512912
発売日
2017/10/31
価格
1,650円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

【『絶滅危惧職、講談師を生きる』刊行記念対談】講談師と音楽家を突き動かすもの 神田松之丞×尾崎世界観

 「うそくせえ」ものは嫌い

尾崎 今回、『絶滅危惧職、講談師を生きる』を読ませていただいて、自分と共通点が多いことに驚いたんです。特に、学生時代の松之丞さんの口癖だった「うそくせえ」という言葉。あれは、僕も十代の頃、よく口にしていて。

松之丞 尾崎さんもそうだったんですか。僕は高校から大学にかけて、歌舞伎やら、狂言やら、文楽やら、伝統芸能を見まくっていたんですけど、「うそくさくて、つまんねえじゃん」と年中言ってたんです。今考えれば、その芸を受け取るこっち側にも問題があったんでしょうけど、一番感受性が高いはずの十代に届かない芸って、何なんだと。自分に響かない芸を嫌って、全部「うそくせえ」って切り捨ててました。

尾崎 僕の場合は、日常生活から音楽まで、身の回りのあらゆるものが「うそくせえ」と感じていた時期があったんです。世間で評価されているバンドやヒットしている曲に対しても、あんなの良くない、本物じゃないと。松之丞さんと同じで嫌っていました。

松之丞 じゃあ、「うそくさくないもの」は何だという話になるんですが、僕にはちょっとした基準があって、何の予備知識もなくすごいものがすごいと思っているんです。それこそが「うそくさくないもの」。浪人時代に夢中になった立川談志師匠の落語には、ニートからじいさんまで、何の予備知識がなくても打ちのめす力があった。あれが本物なんです。

尾崎 当時の僕には、なかなか「うそくさくない」ものが見つけられなかった。そんな鬱屈した中で、自分で何とかしようと始めたのがボクシングなんです。

松之丞 あっ、僕もやってた。同じだ。

尾崎 ボクシングのこと、本に書かれていましたね。

松之丞 二年ぐらい続けましたが、全然上達しなくて、ぐだぐだで終わっちゃったな。

尾崎 僕が通っていたのは、葛飾の小菅にあった土手沿いの小さなジムでした。それなりに頑張って練習したんですけど、最初からトレーナーにはものにならないと思われていたみたいで、数えるほどしかリングには上げてもらえませんでした。

松之丞 ボクシングジムで、才能がないと見なされた時の扱いって凄いですよね。圧倒的に相手にされないというか、無視されるのに近い。スパーリングなんてまずできなくて、プロが近くで練習を始めたら、スッとどくとか。

尾崎 僕なんか、縄跳びばっかり上手くなって(笑)。通っていたジムにたった一人だけ、プロのボクサーがいたんです。感じ悪い人ではあったんですけど、まあ強そうだったし、試合前に減量しているところをよく見かけて、プロっぽいなと敬意は払っていました。あるとき、ボクシング雑誌を手に取ったら、その彼が「4ラウンド判定負け」したことが本当に小さな扱いで載っていたんです。あのレベルでも負けるんだと思って、僕じゃ到底無理だと悟りましたね。

松之丞 そういう意味では、ボクシングは「うそくさくない」。シビアに力を試されて、本当に強い奴しか生き残れませんから。僕はジムでミットを持たされたことがあって、プロの軽いフックを受けただけで吹っ飛ばされた。どんなに粋がっていても、ボクシングの世界では、僕こそが「うそくさかった」かも(笑)。

新潮社 波
2017年11月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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