『絶滅危惧職、講談師を生きる』
- 著者
- 神田 松之丞 [著]/杉江 松恋 [著]
- 出版社
- 新潮社
- ジャンル
- 文学/日本文学、評論、随筆、その他
- ISBN
- 9784103512912
- 発売日
- 2017/10/31
- 価格
- 1,650円(税込)
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【『絶滅危惧職、講談師を生きる』刊行記念対談】講談師と音楽家を突き動かすもの 神田松之丞×尾崎世界観
「怒り」を原動力にして
松之丞 尾崎さんが初めて書かれた小説『祐介』(文藝春秋)を拝読して、「怒り」をものすごく感じたんです。バンドマンの主人公はいつも苛立っている。自伝的な小説でしたが、尾崎さんご自身がそうだったんですか?
尾崎 あれは小説なので、主人公と僕はイコールではありませんが、常に「怒り」を心に秘めているという点では一緒ですね。皆さんがどうでもいいと思っていることでも、実は怒っていたりして。
松之丞 今も、その「怒り」は持続しているんですか?
尾崎 実際には以前よりも怒っている気がしますね。例えば、松之丞さんの講談を聴きに行っても、隣のおばさんが飴を舐め始めただけでビニールの音がうるさくて苛々する。「今、舐めるんじゃねえ」って(笑)。
松之丞 わかる、それ。僕も高座から客席を見て、同じ事を思ったりしています。あいつ、この大切な場面で飴舐めるのかと(笑)。
尾崎 そういえば、草月ホールで『中村仲蔵』を聴かせていただいていたとき、一時間以上遅れて会場に入ってきた人がいたんです。それも本当にいい場面で。遅れる事情はあるんでしょうけど、こんな途中から見てちゃんと物語が理解できるのか気になってしまって、せっかく楽しみたいのに気が削がれてしまう(笑)。
松之丞 これは僕が受けた印象なんですけど、小説にしても音楽にしても、尾崎世界観という人を突き動かしている原動力は、その「怒り」ではないかと思ったんです。
尾崎 それ、当たっていますよ。もし僕に「怒り」がなかったら、少なくとも小説は書けませんでした。
松之丞 講談もまったく同じで、人間の「怒り」を原動力にしているんです。落語は「笑い」の芸、講談が「怒り」の芸、浪曲は「泣き」の芸とよく言われるように、聴き手への訴えかけ方がまったく違います。もちろん講談にも「笑い」や「泣き」の要素はありますが、やはり「怒り」が強め。講談師って、だいたい短気なんですよ。演目にもよりますが、そういうキャラも良く出てきますし。
尾崎 『祐介』に出てくる「怒り」は、周囲に対するものだけじゃなく、ギリギリの生活を余儀なくされ、耐え続ける自分に対する苛立ちも増幅してるんです。実際の僕の生活もギリギリで、「すき家」の前で店に入るかどうか、三十分も悩んだこともあったんです。牛丼を食べたら金がなくなって、また面倒なバイトの面接を受けなきゃならないと。
松之丞 バンドは、練習するのにもタダじゃ済まず、スタジオ代がかかるんですよね。幸いにも、僕はお金で苦労したことがないんです。アルバイトの経験もほとんどなくて、ひたすら耐える経験といえば、現在の二ツ目の前、前座の四年間でしょうか。
尾崎 本の中では、かなり自虐的に語られていましたね。
松之丞 着物はたためない、太鼓もたたけない、気も利かない。まさにダメ前座。畳に額をすりつけて謝り続ける毎日でした。僕がそれでもやっていけたのは、本当に優しい師匠のおかげで。ただ、前座仕事ばかりできる奴は成功しないというジンクスもあり、僕はそんな些末なことより、明日の高座のことを考える方が大切だと思っていたんです。
尾崎 不真面目でダメなバイトだった僕も、松之丞さんの考えと似ていて、バイト先でリーダーになったって、いい曲ができる訳じゃないと思っていたんです。まあ、自分が仕事ができないことへの、ただの言い訳なんですけどね。