『パリに終わりはこない』
- 著者
- エンリーケ・ビラ=マタス [著]/木村 榮一 [訳]
- 出版社
- 河出書房新社
- ジャンル
- 文学/外国文学小説
- ISBN
- 9784309207315
- 発売日
- 2017/08/28
- 価格
- 2,640円(税込)
書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます
有名作家が行き交う70年代パリ、「虚構の街」を描く
[レビュアー] 鴻巣友季子(翻訳家、エッセイスト)
一九二〇年代の“パリ時代”。そこには、世界中の天才、鬼才芸術家たちが自由に暮らしていた。ピカソ、マチス、ストラヴィンスキー、コクトー、ランボー、ブレヒト……。
ヘミングウェイの自伝的小説『移動祝祭日』の舞台となったひらめきの源泉。ウッディ・アレンが『ミッドナイト・イン・パリ』で描いた憧れの都。「ロスト・ジェネレーション」という伝説の言葉がひょんなことから生まれた街。ピカソとジョイスが通りでばったり会って、カフェ・ドゥ・マゴへ行き、フィッツジェラルドがあの“サイズ”のことでヘミングウェイに相談したというパリ。
さて、ビラ=マタスが二十代を過ごしたパリは、一九七〇年代のパリだ。本書はその回顧録でもあるのだが、スタイルとしては「講義」の形をとっている。しかも彼が乗った飛行機のシートに、一枚の紙片が落ちており、そこには来週、バルセローナのシンポジウムで行うはずの講演の内容が書かれていた。それが本書だという、なんとも作者らしいひねりだ。このシンポジウムは「アイロニー」をめぐるものだが、本書自体が文学作品におけるアイロニーの役割について辛辣に問うてもいる。
抜群のエピソードが満載だ。まず、主人公が自ら心酔するヘミングウェイの「そっくりさん大会」に出場したら、似ていなさすぎて失格になる、という導入からして笑える。パリの下宿の大家はマルグリット・デュラスだし、歴代の下宿人には、カルト映画監督のホドロフスキーや後の大統領ミッテランらがいたという。カフェで、ロラン・バルトと会話し、大通りの書店でジョルジュ・ペレックを見かけ、パーティでまだ名もないイザベル・アジャーニに睨まれ、そうしながらナボコフばりの注釈付き小説『教養ある女暗殺者』を書いて作家修業をする。
有名無名の作家や芸術家との遭遇やその作品への言及が次々となされるが、作りごとなのか実体験なのか、嘘っぱちなのか事実なのかわからない。作中の文言である「本物を本当に見ることができるのだろうか?」という疑問が全編にこだましている。
「思い出す」という作業は、言ってみれば、記憶を編んで物語を仮構すること。パリとは虚構のシンボルであり、果てしないのは当然なのだ。デュラスはビラ=マタスに言う。「とにかく書きなさい、一生書き続けるのよ」。こうして一人の若い作家は「パリ」を一生の恵みとして、また宿痾(しゅくあ)として抱えこんだのである。癒しがたき哉、巴里。