『回遊人』
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男の本音丸出しの主人公 これぞ関西文学の本流
[レビュアー] 都甲幸治(翻訳家・早稲田大学教授)
あのときこうしていたら。人は誰でも、失った可能性を思って嘆く。たとえば本書の主人公はこうだ。十年前、性的な魅力に乏しい淑子(よしこ)と結婚した自分は、やがて売れない純文学作家となり、書けない、金もない状況に落ち込んだ。あのとき、淑子の友人で胸も尻も大きな亜美子を選んでいたら。そんな思いは普通、日常の中で消えていく。でも本書ではそうではない。苦しみの果てに飲食店の床に転がっていた怪しい薬を飲み込んだ主人公は、十年前の世界に戻ってしまう。そして今度は亜美子と結婚するのだ。
主人公はとにかく弱い。仕事場ではエロサイトを巡回し、禅の本に挟んだへそくりで女を買う。その間にも亜美子の体を想像している。BMWに乗った男と結婚した彼女は、「分厚いステーキを食べ、今も激しい夜の営みをしているに違いない」。こうしたイメージの貧困さが生々しい。
しかも生まれ変わると、今度は前の人生で読んだベストセラーをそのままパクり、まんまと売れっ子エンタメ作家になる。そしてその勢いで亜美子まで手に入れるのだ。金銭欲も性欲も充たされた彼だが、思わぬ困難にぶち当たる。
亜美子とは体の相性はいいのだが、心はいつまでも遠いままだ。自分の書き殴った作品を読んでも良いとは思えない。思い出されるのは淑子のことばかりだ。ちゃんと節約してくれたよなあ。家族の健康を思って食事を作ってくれたな。そしていつしか、ボロボロのアパートで暮らす淑子を訪ねるようになる。でも亜美子と別れられない主人公は結局、永久に淑子を失ってしまう。
現代日本文学のお行儀が妙に良くなって久しい。その中で男の本音丸出しの主人公を見せてくれる吉村の存在は貴重だ。そして主人公が最低なほど、彼の妻への思いが胸を打つ。けれども、淑子の愛の深さに気づいたときにはもう、彼女はいない。男の業を描いた本作に、僕は車谷長吉以降の関西文学の本流を感じた。