『おれがあいつであいつがおれで』などで人気の児童読み物作家、山中恒の自伝的小説『まま父ロック』創作インタビュー
[文] ポプラ社編集部
10月に発売になったポプラポケット文庫『まま父ロック』(コザクラモモ・絵)の作者、山中恒さんから作品の誕生秘話と創作についてお話を伺いました。
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――まずはじめに、『まま父ロック』を書かれたきっかけをおしえてください
PHP研究所の雑誌で「若いお母さん向けに、何か書きませんか」と言われたことがきっかけです。半年という約束で、家庭小説を書き始めたんだけど、それが読者アンケートで好評で。さらに半年、1年とのびて、計2年連載しました。
当時かたい読み物が多かった中で、『まま父ロック』はお母さんたちがほっとできる娯楽小説として、継続の要望が多かったようです。
――大人向けの雑誌に連載されていた作品ですが、児童書として刊行されたのですね
編集者が出しましょうといってくれて、連載内容をほとんどいじらずに、1992年に偕成社から書籍化されました。単行本は台湾で翻訳出版もされました。
――ポプラポケット文庫は、単行本に加筆修正されたものですが、その際心がけたことをお聞かせください
時制の整理と、ぼくはともかく今の子どもたちに読んでもらいたいと思っているので、今風に書き換えたところはいくつかあります。暴力的なところは少し抑えました。昔はすぐ「ぶっ殺しちまえ」とか言ったものだけど、今はそんなことないでしょう。いじめ自体は、ぼくの子どものころからあったけれど、あまり騒ぎ立てることはなくて「そういうもの(いじめはあるもの)だ」と思っていたところはあるかもしれない。今ほど深刻な感じでは、なかったんですよね。
――子ども向けの物語を執筆されるにあたって、心がけていらっしゃることはありますか?
どんな風でも、子どもたちが面白がって読んでもらえたらいいと思って、いつも子どもと遊んでいるみたいな気持ちで書いています。
ぼくは14歳で敗戦を経験して、世界が変わったんです。子どものころにいい作品を読めば、いい大人になれるという幻想はやめてほしいと思ったんだ。まず子どものときには、本を読む楽しさを知ってもらいたい。楽しいと思えば、自然にその次は知識のほうへいくから。ぼく自身も子どものころ、両親の本棚にあった吉屋信子や菊地寛の大人向けの小説をドキドキしながら読んでいましたよ。
――『まま父ロック』では、雪影先生がリズミカルに炒飯を作るシーンが印象的ですが、山中さんも家事全般がお得意だと伺ったのですが…。
ぼくは七人兄弟の長男で、母は体が弱くて寝ていることが多かったから、小学1年生のころから、ご飯のしたくや買い物なんかも自然とやっていました。祖母は母のことを「からっぽの闇」(怠けものという意味)と言っていたけれど。文学少女でね、親父が甘やかしていたんだと思う。ずっと原稿を書いていると、逆に、全く違うことで手を動かす、料理や掃除や洗濯が息抜きになるんですよ。
オムライスやトンカツ、餃子なんかも上手で、なんでも作ってくれましたよ。買い物に出たときは、重い荷物を持ってくれたり。「ありがとう」「お願いします」なんてことも、いつも言葉に出してくれてね。(奥様談)
――趣味や息抜きについて、教えてください
ネコですね。ネコが大好きで、一時は同時に7匹飼っていたこともありました。代々の山中家のネコを、絵馬に描いてもらったんですよ。今いるのは、シロちゃん1匹だけれどね。(シロちゃんはお話を伺っている最中、ずっと山中さんの足下に座っていました)
――では最後に、今の子どもたちへのメッセージをお願いします
まず大人が幸せにならないと、子どもは幸せになれないと思う。子どもたちには、思うとおりにならないこともあると思うけれど、大人のいうことは、ある程度聞き流しつつ、楽しく過ごしてもらいたいと思います。
■『まま父ロック』作品紹介
ある日ママが「ものかきやさん」こと、作家の雪影静歩先生のマネージャーになった! 同時に雪影先生は、わが家の隣に引っ越してきて、ママと再婚することに!? ユーモアあふれる継父と、まっすぐで一生懸命なママ、クールなお姉ちゃん、どこか抜けてるお兄ちゃん、そしてわたし――の思わずプーッとふきだしてしまい、心がほろっとあったかくなる家族の物語。