パワハラ上司の弱みを掴むべく奮闘する凸凹コンビ……。大注目作家の新境地!――『バック・ステージ』芦沢 央

インタビュー

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バック・ステージ = BACK STAGE

『バック・ステージ = BACK STAGE』

著者
芦沢, 央, 1984-
出版社
KADOKAWA
ISBN
9784041051924
価格
1,650円(税込)

書籍情報:openBD

【刊行記念インタビュー】芦沢 央『バック・ステージ』

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ミステリー色の濃いものから恋愛もの、はたまたスリリングなサスペンス要素のものまで。五年をかけてつくりあげたアソートボックスのような連作短編に、コミカルな書き下ろしを加えてさらなる仕掛けを施した一冊は、これまで読んだことのない“芦沢感”たっぷり。各話に隠されたバラバラのピースがぴったりハマっていく爽快感は、次々に話題作を上梓する気鋭のミステリー作家の勢いとも重なります。

四つの短編をくるむのは
新感触のドタバタミステリー

――この九月で作家生活五周年。デビュー作『罪の余白』から、近刊『貘の耳たぶ』まで、七冊を上梓されましたが、本書に収めた連作短編のうちの四編は、その間ずっと書き進めていたものだそうですね。

芦沢 一作目の短編の執筆はデビューのすぐあとでした。そこから今回はお蔵入りさせた一作も含め、ほぼ一年に一本というスパンで書いてきたものなのですが、描いているのはすべて、ある一日のことなんです。東京の中野にある劇場とその周辺で起こる話。まったく関係ない人々を描いた、それぞれ独立した話ですが、物語のなかにあるピースが、“あれ!?”というところで繋がっていく。

――子供が嘘の親友の話を始めたことで、ざわついてしまう離婚したばかりのシングルマザー、偶然の再会から恋をした同級生に、“中学のときから”好きだったと話を盛ったばかりに、彼女との仲が変なことになっていく大学生、開演直前に奇妙な脅迫状を受け取り、奔走する新人舞台俳優、認知症の兆候が現れた大女優と、その事実を本人に知られないよう、心を砕くベテランマネージャーを主人公にした四つの話は、一作一作、色合いがまったく違いますね。

芦沢 そうですね。でも根底に共通して流れているのは“嘘”。嘘自体を描くというより、ある人間関係のなかに嘘が一つ加わることによって、彼らがどうなるのかということを書きたかったんです。一作ごとに違う感触になったのは、嘘のバリエーションを様々に出したかったから。嘘って、相手に虚構を現実と思わせるために“演じる”ことでもある。

――それがタイトルにも繋がる。章立ても、第一幕、第二幕……と、舞台のシナリオのようなつくりにもなった一冊は、“嘘=演じる”を見せていくためのステージ感があります。そして序幕と終幕は刊行に際し、たっぷりと書き下ろしをされて。これがまた、“今までこの作風、隠していたんですね?”と言ってしまいたくなるほどコミカル!

芦沢 同じ日に起きた出来事が思いもよらぬ繋がり方をする、ということをより鮮明に見せるために、四つの短編をくるむストーリーを書こうと思ったんです。そしてそれは、話をどんどん展開していく、ドタバタしたものがいいなと(笑)。そこで出て来た人物、松尾と康子の掛け合いを書いている最中はすごく楽しかったですね。

――新入社員の松尾くんは、ある晩会社で、先輩社員の康子さんがパワハラ次長の弱みを探しているところを目撃し、その片棒を担がされることになってしまう。そして彼女に命じられるまま、翌日向かったのが、松尾たちの会社がプロモートする“日本一チケットが取れない”人気演出家の舞台が上演される中野。この地点から、こっちの話の歯車が動けば、繋がっていないように見えていた話の歯車も回転して……ということが、すべての物語で起こる仕掛けにもびっくり。

芦沢 ピタゴラスイッチ的に(笑)。六編すべてのタイムスケジュールを分単位でつくり、矛盾が生じないよう、組み立てていくのは大変でしたが、歯車がかみ合うたび、“やった!”と。実はこうして全然違う物語を投入し、絡めていくことは、連作短編を書いているときには計算していなかったんです。一つの長編のような括りの中に入れようとして書いたわけではないからこそ、バラバラの他人同士の話として違う質感で書けて、それが絡んでいく奇妙な味わいが出た気がします。

まったく思考の違う二人、
ズレから開かれていく地平

――あきれるほどマイペースな松尾くんと、耳の形のシュールなピアスを愛用している、ちょっと“変な人”の部類に入る康子さんは、これまでの芦沢作品には登場してこなかったタイプの人たちですね。

芦沢 特に視点人物である松尾が珍しいですね。私は今まで、物語や出来事の当事者に近い人物を主人公にすることが多かったんです。たとえば「第一幕 息子の親友」のシングルマザーの望のように、“どうしよう、どうしよう”と悩む人物が、答えを見つけるために物語が動いていくという。けれど松尾は、上司の不正を暴くことに対しても、“そんなの、ほんとはどっちでもいいや”的な、かなりの傍観者なんです。この出来事だけでなく、世界のすべてを“安全圏から見ています”というスタンスの。

――そして、そんな松尾くんにすら、“そうきたか”と言わせてしまう、康子さんの突拍子もない言動がストーリーをぐいぐい引っ張っていく。

芦沢 書いている私自身、なんか面白い二人だなと思って(笑)。そのやりとりは、あえて決め込まずにアドリブ感をもって書いていきました。そしたら勝手にランドセルの話を始めちゃって。偶然にもそれが、二人の個性を象徴する話題になったんです。

――“どうしてその色にしたのか一番訊かれなさそうだから”、ランドセルは黒を選ぶという松尾くん、“わたしは赤が選べない人なんだよ”と語る康子さん。“ランドセル、何色を選ぶ? 選んだ?”という、そのエピソードは、自意識というものをツンツンと突いてもきますね。

芦沢 みんなと同じ赤を選べないという康子さんは、その他大勢になりたくないという思いがすごく強い。他人から“変わっている”と思われたくて変わったことをする、彼女みたいな人って意外と多いんじゃないかと思うんです。そういう意味で彼女は実はけっこう普通の人なんですよね。“私、あんまり他人の目って気にしない人だからぁ”感をアピールせずにはいられないという(笑)。けれど松尾は、そんなことも本当にどうでもいいんです。私はどちらかと言うと康子タイプだから、自分とは全然違う松尾みたいな人には憧れますね。

――そんな二人がペアになったことで、ストーリーの本筋以外のところでも、どんどん開かれていくものがありますね。

芦沢 思考がまったく違うから、会話もズレるんですよね(笑)。けれど、そのズレが、思い悩んでいたことに対しての発見になったり、救いになっていったり、互いのなかで新たな地平が開かれていく。これは出会いとしていいなぁ、二人ともよかったねぇって(笑)、書きながら思っていました。

一変する味わいと筆致
そこには五年の軌跡がのぞく

――第一幕から第四幕までは、長いスパンで書いてきたがゆえ、執筆スタイルの軌跡を辿る読み方もできることも、読者としては興味深い。鬼才演出家・嶋田ソウの舞台に抜擢された新人俳優のもとに、“共演女優との関係を舞台上でバラされたくなかったら、重要な場面のシーン32には出るな”という脅迫状が開演直前に届く「第三幕 舞台裏の覚悟」は、第一、二幕とは筆致がガラリと変化していますね。

芦沢 第三幕を書いたのは、『いつかの人質』を執筆していた頃。“あなたは心理で物語を動かす癖がある。心理描写を半分に減らすべき”“それで話が成立しないなら筋が足りないんです”と言われ、最終的に二千枚くらい書き直したこの作品は、私のなかの一つのターニングポイントになりました。作家としての自分の足りない部分に徹底的に向き合い、筋を増やすということを勉強し、そこで思考が変わったんですね。その過程から“どうしよう”という心理ではなく、視点人物が動いていくことで物語が展開していくものを書きたくなったのが、「舞台裏の覚悟」だったんです。

――そのなかでは、舞台人の“追い詰められる”描写も迫ってきます。

芦沢 視点人物が追い詰められるシチュエーションを書くのは、デビューしてから繰り返しやってきたことではあります。そもそも、“こんなシチュエーションに置かれたら、この人はどう感じ、どうするだろう”というように、登場人物をシチュエーションの中に放り込んでその様子を描写していくことで物語をつくっていくところがあるので。ただ、この頃からやり方が変わってきた気はしますね。“どうしよう”という心の動きを丹念に追っていくだけよりも、何とか状況を打破しようと行動する姿を見せた上で心理も入れた方が、より読み手も感情移入してくれやすいのだとわかってきたというか。

――一方、「第四幕 千賀稚子にはかなわない」では、老け役で一世を風靡してきたベテラン女優が登場してきます。

芦沢 第三幕で、舞台人としての覚悟をつくっていく新人の男の子を描いたところから、次に追ってみたくなったのは、その覚悟を持ち続け、何十年もやってきた女優が、それでもぶち当たる“何か”。一つの舞台が役者としてのはじまりになる人もいれば、終わりになる人もいる。その交差も描きたかった。

――この短編四作は刊行にあたり、あえて筆致の違いを揃え直さなかったそうですね。

芦沢 たとえば、恋愛をメインにしたミステリー「第二幕 始まるまで、あと五分」は、今の私なら、こういう書き方はしないと思います。けれど、この質感の違いは同時期に書いていたら出せなかったもので、そのおかげで、物語同士が一つの世界の中で絡み合っていきながらも予定調和的にまとまりすぎずにいられるんじゃないかと思ったんです。

どこかで誰かの歯車が回る
それって、何だか素敵なこと

――松尾くんの発する“なるほど、そうきたか”で始まり、“まさか、こうきたか”で物語は締め括られますね。

芦沢 四つの短編をくるむ、新たな物語をどう書き進めようか、と思案していた段階で、まず浮かんで来たのが、最初と最後のこの一文なんです。“そうきたか”と“こうきたか”の距離感の違いに、“この変化だ! これを書く物語にしよう”と。

――徹底して“傍観者”のスタンスをとっていた松尾くんの変化は、コミカルだけれど味わい深くもありますね。そして彼の変化には、初めて“芦沢央の真骨頂”を使わなかった。

芦沢 そうなんです。これまでの作品のなかで、登場人物たちを対峙させてきた、得意技の“追い詰める”を(笑)。追い詰められている人物を書かなくても、物語が楽しく動かせるのか、ページをめくらせる力をつくれるのかということは、本作で最もやってみたかったことの一つですね。

――そこには一冊丸ごと、仕掛けた構造も活きてくる。

芦沢 あれをやっても失敗、これをしても失敗、結局、この一日は何だったんだろうと思ったら、他のところで、意図しない誰かの歯車を回していて、巡り巡って変化して、という。そして、その歯車を回した人も回された人も、それがわからない。

――まさに“バック・ステージ”の不思議ですね。

芦沢 人間ってどうしても見えるところだけで考えたり、自分の意図が通ったかどうかで判断しがちですよね。それが通らなければ、無駄だったとか、意味がなかったとか、つい思ってしまう。けれど“こうしたい”と思って動かしていた意志や、積み重ねていた努力は、自分からはまったく見えないところで実を結んでいるかもしれない。そしてそのことは、この物語でもそうであるように本人は知り得ないんですよね。自分のしたことが、まったく知らない誰かにどこかで影響を与えているかもって想像すると、何だか素敵だなぁって。

――その素敵な舞台裏を本作では、すべて見渡すことができます。誰かと誰かの行動や意志が意図しないところで、カチカチッとハマってしまう爽快な瞬間も。

芦沢 見えるものと見えないものが絡み合っていく。それこそに意味がある、というお話なんだと思います。“世界はけっこう捨てたもんじゃないな〟と感じていただけたら、うれしいですね。

芦沢央(あしざわ・よう)
1984年東京都生まれ。2012年、『罪の余白』で第3回野性時代フロンティア文学賞を受賞し、デビュー。短編集『許されようとは思いません』の表題作が、第68回日本推理作家協会賞短編部門候補、第38回吉川英治文学新人賞候補に。他の著書に『悪いものが、来ませんように』『今だけのあの子』『いつかの人質』『雨利終活写真館』。近著は、第6回「新井賞」を受賞した『貘の耳たぶ』。

取材・文=河村道子  撮影=ホンゴユウジ

KADOKAWA 本の旅人
2017年9月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

KADOKAWA

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