「泥や土から掘り出されるもの」と関わる新人賞2篇

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「泥や土から掘り出されるもの」と関わる新人賞2篇

[レビュアー] 小山太一(英文学者・翻訳家)


新潮2017年11月号

 今月は、『新潮』『文藝』『すばる』の三誌で新人文学賞の結果が発表された。ここで紹介する二作はどちらも、泥や土から掘り出されるものと関わっている。

 石井遊佳「百年泥」(新潮新人賞)は、インドのチェンナイが舞台。百年に一度の洪水で川沿いが泥の山となり、「一世紀にわたって川に抱きしめられたゴミが、あるいはその他の有象無象が」泥の中から顔を出す。

 主人公は、借金返済のためインドへ飛ばされ日本語教師に。彼女が勤め先への橋を渡り終えるまでに、自分や生徒たちの過去につながる「有象無象」が次々と掘り起こされてゆく……。

 この作品を貫くのは、作中の言葉を借りれば「ふきこぼれ」の感覚だろう。地中から脈絡なくふきこぼれてきた過去は、見る人それぞれにとって独自に痛切な、あるいは滑稽な記憶を呼び起こしたあと、ふきこぼれの渦の中で他の過去と混淆し、また泥に沈んでゆく。すべては「あったかもしれない人生」の綴れ織りだという諦念がとぼけたユーモアと入り混じり、独特の味を生んでいる。

 若竹千佐子「おらおらでひとりいぐも」(文藝賞)の第一の魅力は、主人公の高齢女性「桃子さん」の心に響く東北弁のビートだろう。

 田舎から出てきて結婚と子育て、今は首都圏の郊外に一人暮らし、という桃子さんの人生はごく平凡だ。しかし、その来し方が「最古層のおら」の東北弁で掘り起こされるとき、地底のマグマを思わせる「ふつふつとたぎるもの」が立ち現れてくる。自分の「空っぽう」さに対する怒りと痛み。それと同居する「おらの今は、こわいものなし」という突き抜けた肯定感。

 一方で、桃子さんの声にかぶさるナレーションはけっこう理屈っぽく分析的であり、桃子さんの東北弁も時にグッと理屈へ傾斜する。これは作者の地金か、桃子さん本人が意外に理屈にこだわる性なのか。そこに生じる言葉の軋(きし)みも面白い。

 土の中からといえば、松浦寿輝の新連載「人外(にんがい)」(群像)もそうだ。土から生まれた「ひとでなし」、ヒトの記憶を湛(たた)えつつヒトならざるものの旅立ちが自在な文体で語られる。今後に注目。

新潮社 週刊新潮
2017年11月2日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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