『中原中也』 佐々木幹郎著

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中原中也

『中原中也』

著者
佐々木幹郎 [著]
出版社
岩波書店
ISBN
9784004316732
価格
972円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

『中原中也』 佐々木幹郎著

[レビュアー] 安藤宏(国文学者・東京大教授)

詩から歌へ、純化を探る

 中原中也の詩集は『山羊の歌』と『在りし日の歌』の二冊。いずれもその題名は「詩」ではなく「歌」である。中也はなぜかくまでに「歌」にこだわったのだろうか。

 著者はその秘密を、中也の音楽への独自のこだわりに求めている。単純化を恐れずに言えば、音楽から慎重に「音」を抜き取っていくと「詩」になる。否、ただ自動的にそうなるのではない。文字によって「声なき声」に煮詰められることによって、初めてそれは独自のリズムを持った「歌」へと純化されるのである。草稿の書き換えを通してそのプロセスを分析していくくだりは実にスリリングだ。とりわけ印象に残るのは中也が好んで取り上げた雪のモチーフで、彼は雪を、天上から無音で降りそそぐ沈黙の音楽と捉えた。未発表詩編「雪が降つてゐる……」の加筆訂正の跡を上下二段に対照した箇所は本書の白眉と言ってよいだろう。年月と共に夾雑物(きょうざつぶつ)が取り除かれ、言葉が「沈黙の歌」に彫琢(ちょうたく)されていくプロセスは感動的ですらある。詩とはこのようにできあがっていくものなのか、と目から鱗(うろこ)の落ちる思いがした。書き換えの八年のうちには愛児を失うという痛恨の体験があり、これを機にそれまでの表象としての「雪」は、「言葉なき歌」にまで高められていく。「汚れつちまつた悲しみに/今日も小雪の降りかかる」という、あの著名な一節もまた、こうしたプロセスの中で生み落とされたものなのだった。

 著者は『新編中原中也全集』の編纂(へんさん)の中心になり、その過程で多くの草稿、新資料を参照する機会に恵まれた。だが、書き直しの跡をたどれば直ちに「詩」が見えてくるわけではない。背後に「沈黙の音」を聞き分ける耳があって初めて、実証の極致である文献学に生命が宿るのである。最期まで詩人としての明晰(めいせき)な意志を失わなかった中也像を導き出していくその手つきは研究書としても一級品。読者におもねらない、まことに贅沢(ぜいたく)な新書ではある。

 ◇ささき・みきろう=1947年奈良県生まれ。詩集に『死者の鞭』、著書に『中原中也 悲しみからはじまる』など。

 岩波新書 900円

読売新聞
2017年10月29日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

読売新聞

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