『会社法判例の読み方』

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会社法判例の読み方

『会社法判例の読み方』

著者
飯田 秀総 [著]/白井 正和 [著]/松中 学 [著]
出版社
有斐閣
ジャンル
社会科学/法律
ISBN
9784641137752
発売日
2017/07/08
価格
3,410円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

『会社法判例の読み方』

[レビュアー] 大杉謙一(中央大学法務研究科教授)

1 本書の概要

 本書は、30代後半の脂の乗った3人の会社法研究者による、36件の会社法判例の分析・解説であり、意欲のある法学部生を主な読者として執筆されている。本文が395頁であるから、平均して判例1件に11頁が充てられており、「十分に詳しい(丁寧である)が、長すぎない(読みやすい)」というのが評者(大杉)の読後感である。
 取り上げられた判例は、昭和27年から49年までのもの、昭和50年から平成19年までのもの、平成20年から27年までのものが、各12件である。この分布は、会社法としては意外とクラシックに見えるが、実際に各事件の解説を読んでみると、古典的な論点から現代的な論点までをバランスよく取り上げていることが分かる。
 本書は、ある程度の会社法の基礎知識を持つ者が、その知識を肉付けして、初級者から中級者へと歩みを進める際の、恰好の伴侶である。法学部生が実際に読み通し、理解・思考を深めることができるように、記述に工夫がされている。
 3人の共著者は、単に執筆を分担しただけではなく、会議でお互いの草稿に意見をぶつけ合ったようで、本書にはコンセプトの一貫性や全体のバランスが感じられる。評者が考える本書の特色は次の2点である。第1は、判例・学説が用いる定型的な言い回しについて、その意味を具体的に解説するとともに、法的命題が実際に果たしている機能を読者に(利害調節の分節化、構造把握を通じて)意識させようとしていることである。第2は、判例学習を通じて、わが国で株式会社がどのように利用・運営されているのかを初学者・初級者に知ってもらうことである。
 読者は本書を順序に沿って通読する必要はなく、気になるところから読み始める(興味のあるところだけを読む)ことも可能である。独学可能な記述がされているが、状況が許せば、学生同士で議論したり、疑問点を授業担当教員に質問しながら読み進めるのが良いだろう。

2 判例を素材とする学習

 評者が法学部生であったとき、民法の講義で教授は「良い判例評釈を読むことが、最良の勉強である」と仰っていた。評者がそれを実際に体験したのは、刑事訴訟法のゼミを通じてであった。ただ、商法(会社法)の研究者となってからは、この分野では、通常の(研究者・実務家を読者と想定して書かれた)判例評釈は法学部生にとって荷が重いとも感じてきた。
 他方、学部学生などを読者として想定した判例集(解説)のほとんどは、事実の紹介を簡単に済ませ、特定の法的論点についての判例の立場と学説とを対比・整理することに力を置いている。そのような解説は、基礎知識の習得過程で有意義である。ただ、学習者が「判例を読む」とき、その「読み方」には様々のレベル、様々の方法がある。複雑な事実を自分の手と頭で整理する作業は、法学初級者が中級者へと歩みを進める上で必要な訓練である。判例の法解釈論を理解する際に、学説の地図の中に位置づけるというアプローチはときに有害であり、判例そのものを(その発展・変遷を含めて)内在的に理解すべき場合がある。また、解説の中で紹介される学説は、数が多いほうが良いとは限らず、むしろ数を絞った学説について、読者が各説の根拠をたどり、その是非について考えを巡らせるという知的活動へといざなうような解説が望ましい。
 本書は、学部学生が無理なく読み進めることができるように分量・記述のレベルを調節しつつ、読者がより高い(深い)レベル、多様な方法で判例を読むことをサポートする。本書は、読者に何か「正しいもの」を教えるのではない。読者が知力を駆使して「法律家らしく考える」際に、本書は素材やヒントを提供する。
 読者が、本書をガイドとして判例を読み解くことには、次のような意味があるだろう。
 第1に、法学(実定法)研究に関心のある読者であれば、研究者を目指しているか否かに関係なく、「法学研究の優れた実例」に触れることができる。会社法の初級者を脱して、中級者に差し掛かろうとする者にとって、本書は、敷居は低いが、優れた模範演技を見せてくれる。
 第2に、法学研究に関心のない読者であっても、本書から、様々な①知識や②思考回路を学ぶことができる。まず、①知識について。法律基本科目(いわゆる六法など)の中でも、特に商法(会社法)は、世の中の仕組みと関わる度合いが高いため、平均的な法学部生にとっては親しみを感じにくい領域になっているが、反面、本書を片手に会社法を学ぶことで、世の中の仕組みへと目が開かれることにもなる。従業員持株制度(第6事件)、上場会社による株式発行時の価格決定の実務(第8・9事件)、厄介な株主への上場会社の対応の実務(第13・14事件)、金融機関の不良債権問題と金融行政(第31事件)などである。
 次に、②思考回路について。ある場面を想定した法ルールが社会の変化に応じてどのように機能を変化させるか(利益供与に関する第16事件を、第24事件と対比)、3以上の当事者間の利害調整(第19から21事件)、事前の観点からの利害調整=ある法ルールが将来の当事者にどのようなインセンティブを与えるか(第23・27事件)などは、会社法に特有の思考回路ではないが、解釈論であれ立法論であれ、法ルールを検討する際に必要とされる視点を、これらの事件から学ぶことができる。
 会社法の分野では、判例を素材とする学習書として、本書のようなコンセプトのものは、これまでにごくわずかしかなかったといえるだろう。

3 法学(会社法)教育についての雑感

 評者が商法(会社法)を学び始めた30年前と比べると、商法(会社法)は条文数が数倍に膨れ上がり、そこに含まれている「制度」の数・量は増加し、各々の制度の細部も複雑化している。つまり、会社法の学習者が習得すべき知識(情報)の量は、増大している(なお、合併後の報告総会、株式の額面、株主名簿の閉鎖、最低資本金など、法改正により廃止された制度もないわけではないが、情報量が全体として増加していることに疑問はないだろう)。
 そして、「会社法の膨張」には理由がある。会社法はビジネスに関わる人々の活動を支援するための法律であり、会社法はそのような人々の便益に資するべきものである。多様な種類株式、新株予約権、各種の組織再編行為、キャッシュアウトなどの制度が導入されたのは、そのためである。教師にとっての教えやすさや、学習者にとっての学びやすさは、会社法の良し悪しの指標ではない。
 しかし、会社法の学習者が利用可能な学習時間は有限である。学習者が「習得すべき知識」には、もちろん判例も含まれる。そして、判例も増え続けている。とはいえ、30年前と比較すると、学習者が会社法の学習に充てる時間の中で、条文や制度の理解が占める比重が相対的に大きくなり、判例の比重は低下している。
 ここまでは、仕方がない話である。特に、資格試験を目指して会社法を学習する者から見ると、(司法試験における、数年前に廃止された商法の短答式問題や)公認会計士試験の短答式試験で問われる事項の多くは条文や制度の正確(で細か)な知識であり、判例の知識を問う問題の比重は小さくなっている。おそらく、法学部のゼミなどでも、判例を読み込むタイプのものは減少しているのではないか。法科大学院でも、判例を読み込むことに費やせる時間は限られている。
 とはいうものの、「判例の読み方」を訓練する時間・機会の減少は、看過できない問題である。新着の判例に目を通して、そこから必要な情報を抽出し、知識の更新を図ることは、研究者だけでなく、(広義の)実務家にとって必要な能力である。判例が定立した法解釈は事案とのかかわりで理解されなければならないが、そのためには判例付き六法やオンライン判例検索サービスが提供する要旨を読んだ後に、判例そのものに目を通す必要がある。他方、「社会に関する知見・洞察」を得るために、また、法の発展・変容や法の運用を観察する際にも、判例法の発展・変遷や、判例法と制定法の相互作用などを視野に入れる必要がある。つまり、理想的な法学教育において、「判例の読み方」の訓練は必須である。
 そうであれば、「まず判例の原文を(一審判決から順番に)読ませる」という雑な教育をするわけにはいかない。判例を読み解くのにどのような方法があるのか、必要な前提知識は何か、などのノウハウを効率的・体系的に伝達するメディアが必要である。
 本書は、まさにそのようなメディアである。
 話題を会社法教育全般に戻すと、学習者にとって必要な知識の量・水準や、有益な訓練の内容、それによって涵養される法的思考態度は、いずれも学習者ごとに異なるため、法学部などにおける教育も複線化が避けられない。伝統や知名度を誇る大学・法学部であっても、教育の内容・手法が本当に学生のエンプロイアビリティ(雇用される為の能力)を高めるものとなっているのか(法学教育の職業的レリバンス)、という疑問と無縁ではいられないご時世である。本書の評価や効果的な活用法を考える際にも、ここで述べたような環境・時流の変化は無関係ではあるまい。
 最後に与太話を一つ。人工知能(AI)の発展は、今後のわが国の産業や教育を大きく揺さぶりそうである。評者には具体的な未来予測の知見はないが、法律学に関しては、個々の知識を頭脳に集積している人材へのニーズは漸減するのではないか、他方、個々の知識と諸要素の「つながり」を習得した人材へのニーズは低下しないのではないか、と大まかに推測している。
 もちろん、この推測は外れるかもしれない。教師(教育者)の責任は、正しく未来を予測し、学生を合理的な方向に誘導することではなく、学生自身による未来予測や進路選択(というリスクを伴う行為)に対して、適切な距離を置いて助言をすることであろう。唐突ではあるが、本書を読んでそのようなことを考えた次第である。

有斐閣 書斎の窓
2017年11月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

有斐閣

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