『関与と越境――日本企業再生の論理』

レビュー

2
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

関与と越境

『関与と越境』

著者
軽部 大 [著]
出版社
有斐閣
ジャンル
社会科学/経営
ISBN
9784641165007
発売日
2017/04/26
価格
4,536円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

『関与と越境――日本企業再生の論理』

[レビュアー] 近能善範(法政大学経営学部教授)

 軽部大先生の『関与と越境』は、日本企業が長年苦境に陥っている原因を多面的に考察し、再生への道筋を示した本格的研究書である。本来であれば啓蒙書や評論が扱うような非常に大きな問題に対する回答を提示することを志し、なおかつ本格的研究書としての論証の厳密さを保っている点に、最大の特徴があるように思われる。以下、まずは本書の内容を概観した上で、この点について述べていくことにしたい。

 本書を貫く仮説(見立て)は、「日本企業が長期に低迷してきた原因は、企業戦略や組織のあり方といった表面的な問題にあるのではなく、その背後にある、経営を預かる人々による『関与』と『越境』の仕方にある」というものである。ここで「関与」とは、「ある主体と対象としての客体との間に、交換を通じて新たな関係性が構築されること」を、一方の「越境」とは、「個人や組織が、自らの『境界内』(『持ち場』)に閉じこもることなく、その境界を越えていくこと」を、それぞれ意味している。
 本書の仮説(見立て)をもう少し具体的に述べると、以下のようになろう。日本企業が長期に低迷してきた根本原因は、自分自身(の利害関係)、自らの専門(ディシプリン)、自部署、自部門、自社、既存顧客、自国市場、安定株主等への「過剰な関与」と、それ以外の、他人(の利害関係)、他の専門、他部署、他部門、他社、潜在顧客、海外市場、外部投資家等への「過小な関与」にあり、これが「『小局』へのこだわり」と「自らの『持ち場』への閉じこもり」を生んでいる。例えば個人レベルでは、他人のことを顧みることなく自らの利益だけを追求し、他人の努力に「ただ乗り」する傾向を生んでいる。組織レベルでは、他部署/他部門/他社のことを顧みることなく自部署/自部門/自社の利益だけを追求する、「たこつぼ化」「サイロ化」の傾向を生んでいる。対株主との関係では、安定株主ばかりを重視し、外部投資家との関係を軽視する傾向を生んでいる。対顧客関係では、自社にとって既存の、しかも平均的な顧客の言語化された要望を直接聞くことばかりを、あるいはデータで検証できる範囲のことばかりを重視し、その外側に膨大に存在する、自社にとっての顧客ではない、しかも平均的ではない(より切実度の高い)顧客の困りごとをリアルに想像し、体験し、理解するということを軽視する傾向を生んでいる。そしてこうしたことすべてが、狭い範囲での最適化を目的とした「マイクロ・マネジメント(微視的視点に基づく経営)の自走」と「マクロ・マネジメント(巨視的視点に基づく経営)の不在」をもたらしており、結果的に日本企業の外部環境の変化への適応力を低下させている。これが、日本企業の長期的な競争力低下をもたらした根本的な原因だというのである。
 一方、こうした日本企業の症状に対する筆者の提言は、一言で言えば「新市場の創造」と「企業の自己革新」、そのための「マクロ・マネジメント重視への経営の力点の移行」である。また、これらを実現するためには、「小局」から「大局」へと視点を移動し、内向き志向から外向き志向へと考え方を改め、 自力中心から他力をより積極的に活用する方向へと発想を転換し、世の中に存在する様々な壁を乗り越え、越境を促すことが必要だとする。例えば、これまで対象としてきた顧客層(市場セグメント)の枠を越え、国境を越え、潜在顧客の困りごとをリアルに理解し、それを解決する有効な方策を創造するために、より高い目線に立って、異なる部署や組織の境界を越え、異なる専門領域の境界を越え、技術と市場の境界を越え、新しい協同の機会を創出し、促すことが必要とされるというのである。
 以上の「大きな」主張を展開するにあたって、本書の論証の進め方は極めて抑制的である。1章から3章では、主にマクロデータの分析と先行研究のサーベイに基づいて、日本企業の長期低迷の背景にある本質的な問題をあぶり出している。4章から8章までは、より個別のトピックを扱い、主に企業レベルのミクロデータに基づいて厳密な仮説検証を行っている。ここまでが学術的観点からの論証であり、9章では、より実務的観点から、日本企業の経営の再生の方向について議論し、企業経営に携わる実務者に対する提言を行っている。正直、最初に本のタイトルを見た時は「えっ、なぜこのようなタイトルを?」と思ったのだが、読み進めて行く中で、目から鱗が落ちるような感覚を覚えた。

 本書の特徴の第1は、本格的研究書でありながらも、設定された問題と仮説が非常に「大きい」ということである。一般に研究論文では、論証の厳密さを保つために、問題意識としては大きな問題を扱いつつも、それを何らかの理論に基づいて「研究可能な仮説(researchable hypothesis)」や「検証可能な命題(testable propositions)」にまで落とし込み、その確からしさを検証していく。そして、命題が検証されたことをもって、仮説や理論の確からしさが立証されたと見なす。こうした作法が身に染みついている研究者の立場からすると、「日本企業が長期に低迷してきた原因は、経営を預かる人々による『関与』と『越境』の仕方にある」という本書の仮説(見立て)は、あまりにも大きく、検証可能な命題にまで落とし込むにあたっての距離が長すぎるので、別途、啓蒙書や評論で扱った方がよいという感想を抱くことになる。

 本書の特徴の第2は、上記の特徴を備えている一方で、論証の厳密さをいささかもないがしろにしていないということである。一般に啓蒙書や評論では、非常に大きな問題に対して一定の答えを出すことを優先するために、論証の厳密さについてはある程度犠牲にする。研究書寄りの啓蒙書や評論であっても、マクロデータに依拠した記述統計や、少数の目立つ事例に基づいて、やや印象論的に議論を進めていくのが通例である。これは、大きな問題への回答を求めている読み手にとって、結論こそが重要であって、結論に至るまでの細かな道のりや論証の厳密さには関心が薄いからである。
 しかし本書は、非常に大きな問題や仮説を扱いつつも、丁寧に、愚直なまでに一つ一つ検証を積み重ねている。例えば、「不確実性が近年になって増している」というすでに「定式化された事実(stylized facts)」についてさえ、価格変動(volatility)での検証を行っている。また4章から8章では、先行研究についての確かな深い理解に基づき、手際よく、しかし論理的一貫性を失うことなく、仮説を検証可能な命題へと落とし込み、定量的な検証を行っている。用いられているデータソースや分析手法は多様であるが、分析によって何が明らかになり、何が課題として浮かび上がってきたのかを、分析の限界を正確にわきまえた上で、「抜け」も「跳び」もなく、誠実に論じている。その精度合わせの緊張感は、ある意味で息苦しいほどである。
 このように、非常に大きな問題や仮説の設定と、厳密な論証という、2つのまったく方向性の異なる難しい課題を、高いレベルで両立しているというのが、本稿の第3の、そして最大の特徴である。ある意味で本書は、「研究」の領域から「啓蒙書や評論」の領域へと、本書のタイトル通りに「関与と越境」を行っている書だとも言えるかもしれない。元日本銀行副総裁で、東京大学大学院経済学研究科教授の西村清彦先生は、かつて大学院の授業の中で、「論文を書いている私と、評論を書いている私は、同じ名前で書いていますが、違う人なんです」というようなことを述べていた。つまり、「研究と評論とはまったくの別物だ」というわけである。にもかかわらず本書は、両者を別物にすることを拒否し、ある意味で「無謀とも思えるほど難しい課題」に挑戦し、高いレベルで両立を図っている。
 当然、両方の領域からの批判や反発、摩擦が生じることは覚悟の上であろう。研究書の立場からは、設定された問題と仮説が大きすぎるので、理論やフレームワークに依拠しながらもっと限定的な仮説を導出し、各章の検証可能な命題との距離を縮めた方がよい、という意見が出されるだろう。一方、啓蒙書や評論の立場からは、検証される命題が当初設定された問題や仮説に比して小さすぎるし、検証部分が細かすぎるので、もっと論証の精度を緩めた方がよい、という意見が出されるだろう。いずれも、それぞれの立場からはもっともな意見であるが、しかし著者は、それらすべてを承知の上で本書を書いている(と思われる)。というよりも、「関与と越境」に伴うそうした反発や摩擦を、新たな創造の原動力として、むしろ積極的に利用したいと考えているのではないだろうか。その意味で本書は、自らの主張を実践する、「覚悟の書」だとも言えよう。
 「経営学」には、研究者として論証の厳密さ・誠実さが求められると共に、企業経営に関わる大きな問題に対して一定の回答を提出する社会的責務がある。著者はおそらく、そうした使命感と、批判は甘んじて受けるという覚悟を持って、本書を書いている。そこに、現実の世界に極めて近い領域で社会科学の研究を担う、「経営学者」としての著者の「誇り」や「矜持」が感じられる。日本企業の再生に最も必要とされるのも、本書が体現しているのと同様の、経営を預かる人々の「誇り」や「矜持」といった精神(noblesse oblige)と「実践(practice)」なのではないかとさえ思う。
 なお、著者がこのような極めて難しい挑戦を行った背後には、伊丹敬之先生の名著、『創造的論文の書き方』(有斐閣、2001年)の存在があると考えられる。著者の軽部先生は、この本の第一部「対話編 若き弟子たちの悩み」で、伊丹先生と対話している若き研究者のうちの1人であった(ようである)。『創造的論文の書き方』の内容について言及する紙幅の余裕は無いが、同書を読むと、本書が正に『創造的論文の書き方』の方法論を実践し、体現することに挑戦した研究書だということが理解できる。ぜひ、あわせて『創造的論文の書き方』もお読みいただきたい。

 以上、いろいろと小難しいことを述べてきたが、本書は中身の濃さにもかかわらず読みやすい本なので、私としては、1人でも多くの人に、ぜひ手にとって読んでいただきたいと願っている。できるだけ最初から最後までじっくりと読んで欲しいとは思うが、忙しいビジネスパーソンは、9章を中心に、あとは1・2章の必要な部分を拾い読みするだけでも構わないだろう。レポートや卒業論文のテーマに困っている学部学生や大学院生は、1・2・3章の図表と、関連する文章を読むだけでも勉強になる。研究者はもちろんのこと、経営者の方、将来的に経営者を志す方(これから就職する学生の方も含む)にも、ぜひお薦めしたい1冊である。

書斎の窓
2017年11月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

有斐閣

  • このエントリーをはてなブックマークに追加