謎多き皇室専用倉庫への想像は膨らむ

レビュー

4
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天皇の戦争宝庫

『天皇の戦争宝庫』

著者
井上 亮 [著]
出版社
筑摩書房
ジャンル
歴史・地理/日本歴史
ISBN
9784480069757
発売日
2017/08/03
価格
880円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

謎多き皇室専用倉庫への想像は膨らむ

[レビュアー] 平山周吉(雑文家)

 日本最高の“秘境”への探検の書である。地図からは消されていることが多く、写真などの映像もほとんど出まわらない。そんな人跡稀なる場所が東京のど真ん中、千代田区千代田一番一号にあったのだ。果敢な冒険野郎は、日経新聞編集委員の井上亮。十年前にいわゆる「富田メモ」を発掘したスクープ記者が、今度もたった一人で挑んだ。毎日新聞の書評で、磯田道史は「我々の歴史認識を前進させた一書。著者に敬意を表したい」と書いていた。同感である。

「富田メモ」には靖国神社のA級戦犯合祀への昭和天皇の不快感が記されていた。「だから 私あれ以来参拝していない それが私の心だ」という言葉である。今度の本『天皇の戦争宝庫』も靖国とかかわる。副題が「知られざる皇居の靖国「御府(ぎよふ)」」とあるように、井上は秘境である「御府」を、皇居内の「もう一つの靖国神社」と表現している。

「御府」とは耳慣れない言葉だが、日清戦争以後の戦争で得た戦利品(「分捕品」と呼ぶのが普通だったらしい)などを収蔵する倉庫であり、展示スペースだった。明治天皇の意向で戦没者の名簿と写真も集められた。靖国神社の展示施設「遊就館」の皇室専用御用達の建物と思えばいいのかもしれない。靖国とは違い、敗戦の翌年にGHQの意向で廃止され、兵器類は日本鋼管川崎工場で鎔解された。「明治天皇が命じた戦利品・記念品の数々は、昭和天皇を守るためにこの世から消された」。そこまでは完璧だったとしても、建物は残った。振天府、懐遠府、建安府、惇明府、顕忠府のうち、いまだに四つがそのまま健在だという。

 井上はほとんど史料が残されていない「御府」の実像と虚像を徹底的に調べあげていく。本書の中には、宮内庁宮内公文書館が所蔵する「御府」の外観と内部の写真がふんだんに掲載されている。それだけでもとても貴重なヴァーチャル拝観なのだが、往時の史料に基づいた「御府」の案内まで再現してくれる。至れり尽くせりなのだ。

「御府」は当初、陸海軍の将校や華族、議員、高級官僚に限られて公開されていた。案内役も宮内大臣や侍従武官長といった大物である。彼らの説明では、天皇陛下の「兵を思う心」が事細かに語られる。「親しく此所(ここ)に玉歩(ぎよくほ)を運ばせ給ふ毎(ごと)に、凝乎(じつ)と、御佇立のまゝ、畏れ多くも玉眼(ぎよくがん)に御涙をさへ、さしぐませ給ふを常とし給ひしやに洩れ承はつて居る」といった有難いお話で、感激を新たにできるのであった。

 井上が文献で調べると、こうした説明と矛盾した事実が浮かび上がってくる。『明治天皇紀』を見ると、天覧は日清戦争を記念した振天府に一度限りだった。大量の戦死者を出した日露戦争の戦死者を記念する建安府には「玉歩」を運ぶことはなかった。「不可解なことだ」と井上は驚いている。

 昭和天皇の場合はどうであったか。昭和三年の済南事変以降の昭和の戦争を記念する顕忠府への行幸は、記録上は昭和十一年の一度きりであった。昭和十九年の「修身」の教科書には、「顕忠府御造営に際しては、「写真も広く普及したことであるから、戦死者の写真は、下士官兵の分まで全部集めよ」と仰せ出された。伝へ承るだに、私どもは、今更ながら、皇恩の無辺であることを覚えずにはゐられない」とあった。写真の大きさは下士官と兵は名刺判と定められ、裏面には姓名、戦死の年月日と地名などを記すことまで決められた。

「御府」廃止で、その写真はどうなったか。井上は宮内庁に問い合わせた。答えは「建物内に戦没者の写真はない」であった。返却されたか、焼却されたか、それともどこかに眠っているのか。「わからない」という返事に、井上は焼却されたのではと憂いている。なお、顕忠府の建物の写真は本書にはない。井上は宮内庁関係者を通じて見ることだけはできたが、掲載を断られている。昭和の戦争の建物ゆえに生々しい存在だからだろう。

 ほっとさせるのは、近代の天皇の中で最も影のうすい大正天皇が皇太子時代に御府を読んだ和歌である。「武夫(もののふ)のいのちにかへし品なればうれしくもまた悲しかりけり」。大正天皇の御製から、戦死者と遺族に同情し、その「境遇を想像することができる優しい心根の人」であったろうと、井上は大正天皇の人柄を思い描いている。一番多く御府に足を運んだのも、大正天皇であった。

 御府は戦後には倉庫となり、平成になってからは、昭和天皇の数万冊の蔵書と遺品の保管庫になったらしい。井上が取材を続けていくと、御府の中には戦艦大和の建造中の写真といった「お宝」もひっそりとあることがわかってきた。その話を井上から聞いた大和ミュージアム館長の戸高一成は「血圧が百くらい上昇し」、公開を強く望んだ。

 井上の想像は膨らむ。昭和天皇が後世に残すために入江相政侍従長に書き取らせた「拝聴録」が御府には納められているのではないか。『昭和天皇実録』編纂にあたって行方がわからなかったとされた昭和史の最重要未公開史料である。昭和天皇の日本人全員への遺言ともいえる「拝聴録」を、まさか紛失してしまったり、焼却してしまったりしていることはあるまい、と私も思う。おそらく井上は「拝聴録」に辿り着くために、ここまで執念を燃やして「御府」を調べているのではないだろうか。

「拝聴録」公開を決断できるのは天皇陛下だけであろう。「聖断」が平成のうちにあるか、次の代になるか。どちらであろう。

新潮社 新潮45
2017年11月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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