北村薫×宮部みゆき 対談「名短篇はここにある」―作家生活30周年記念・秘蔵原稿公開

対談・鼎談

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晩菊・水仙・白鷺

『晩菊・水仙・白鷺』

著者
林 芙美子 [著]/中沢 けい [解説]
出版社
講談社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784061961883
発売日
1992/08/04
価格
1,870円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

となりの宇宙人

『となりの宇宙人』

著者
半村 良 [著]
出版社
河出書房新社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784309408699
発売日
2007/10/06
価格
858円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

名短篇はここにある

 「一作家二作品はダメですか」

北村 では、「水仙」は決まりですね。今度は宮部さんのお薦めをどうぞ。

宮部 私は内田百間(ひゃっけん)先生が大好きで、ぜひとも「ノラや」をと思いましたが、掲戴するには長いんですね。ですから現実案として、「ノラや」は続篇である「ノラに降る村しぐれ」と一体であると考えて、「ノラに降る村しぐれ」の方を入れていただけないかと。

北村 異議ありません。まずは「ノラや」がどんな話か、知らない人に簡単にご説明いただきたいんですが。

宮部 ノラは百間先生の飼い猫の名前です。淡々と仲良く暮していたのに、ある日突然ノラはいなくなってしまいます。作品の前半ではノラとの思い出を丁寧に描き、後半、ノラが姿を消した後は日記調になるんです。どんなに案じ、傷つき、寂しいかを綴って、最後は「ノラや、お前は三月二十七日の昼間、木賊(とくさ)の繁みを抜けてどこへ行ってしまったのだ。それから後は風の音がしても雨垂れが落ちてもお前が帰ったかと思い、今日は帰るか、今帰るかと待ったが、ノラやノラや、お前はもう帰って来ないのか」と終ります。絶唱ですよね。

北村 「ノラに降る村しぐれ」をはじめ続篇がいくつか書かれてますが、結局ノラは帰ってこない。

宮部 これは喪失感を描いた小説なんですよね。本当に可愛がってた猫がいなくなった時ってみんなこうなるんです。何度も声をあげて笑いながら、すごく身につまされました。お寿司が食べたいと思っても、ノラがあんなに好きだった卵焼きはやっぱりやめちゃうとかね。林芙美子が表現によって映像を喚起し、登場人物の心理を読者に伝えるのとは全く逆のやり方で、丁寧に丁寧に自分の気持を書いていくんです。

北村 いた時はそれほどでもなかったけれど、いなくなるとたまらなく淋しい。そういうもんでしょうね。小説新潮と百間先生は縁が深くて、「ノラや」のほかにも「阿房(あほう)列車」などいろいろ代表的なシリーズがあったんですよ。

宮部 この企画の趣旨にふさわしい作品ですね。

北村 次は私の方から戸板康二先生の「少年探偵」を挙げます。実のところ、これが戸板先生の最高水準作とは思わないんですが、ちょっと面白い経緯のある作品でしてね。資料を持ってきました。

宮部 『私だけが知っている――幻のNHK名番組』(光文社)

北村 うちにテレビがやって来た頃、「私だけが知っている」という番組をやっていました。ミステリードラマ仕立ての映像を流して、その犯人を徳川夢声(むせい)率いる探偵局員たちがあれこれ推理する番組です。これはその脚本を集めた本で、最初に昭和三十六年一月八日に放送された「金印(きんいん)」という話がありますでしょう。なくなった金印のナゾを探る回で、実はこれが「少年探偵」中、最初のエピソードの元ネタなんです。

宮部 三十五年の十二月生れの私が、生後一ヶ月でポニョポニョしてた頃ですねえ。

北村 生れたばかりの宮部さんが寝ている横で放映されたと思うと感慨深いですね。私は「少年探偵」の金印紛失のエピソードを読んだとたん、「あ、『私だけが知っている』だ」と思い出しまして、この本を調べたんです。ちょっと面白いでしょ? しかも番組のキャストを見てみると、金印を持ち去ったと思わせるためだけにチラリと出てくる三河万歳(みかわまんざい)の二人が、江川宇礼雄(うれお)と三木のり平。年賀の客が岡本太郎、池田弥三郎。探偵局員には攻守ところをかえて、土屋隆史、鮎川哲也、藤村正太、笹沢左保、夏樹静子といった面々が並びます。つまり、いつも出題している面々が解く側にまわったわけです。

宮部 なんと!豪華絢爛(けんらん)。

北村 「少年探偵」は昔から小説新潮を愛読なさっている皆さんにとっては大変懐かしい番組の、しかも、おめでたい正月に放映された話が盛り込まれていること。このナゾを解いたのが鮎川哲也先生たちだということ。この二つのエピソードも込みで推したいと思います。

宮部 私、ずっと戸板先生と北村さんには共通するところがあると思っていたんですよ。特に戸板先生の中村雅楽(がらく)シリーズと北村さんの「円紫(えんし)さんと私」シリーズは、それぞれ探偵役が歌舞伎役者と噺家(はなしか)で芸の道に生きる人物。そうした道具立てだけじゃなく、物の見方まで共通するものがおありだと思います。意識なさったことはありますか。

北村 特に意識したことはないですが、『グリーン車の子供』や『団十郎切腹事件』はとても面白いと思いました。特に『グリーン車の子供』は殺人の起こらないミステリー、今で言う「日常の謎(なぞ)」もので、かえって純粋な謎解きの面白さを感じましたね。

宮部 私ね、もう―つの戸板作品「かなしい御曹司(おんぞうし)」も選びたいんです。中村雅楽が登場するお話ですし、最近は昔ほど読まれていないのが残念で仕方がない。ダメですか、一作家二作品は。

北村 編集長が渋い顔してます(笑)。

宮部 ダメですかねえ。

北村 どちらが本筋かといえば、歌舞伎の人情話のように仕立てた「かなしい御曹司」の方です。作品としても、そちらの方が勿論(もちろん)、上ですが、それだけにかえって読めるチャンスが多い。だったら、この機に「少年探偵」をとっていただきたい。私みたいに変った選者でなければ選びませんよ。

宮部 「変った」じゃなくて「スペシャリスト」でしょう。うーん、では、「かなしい御曹司」は宮部が熱く支持したことだけアピールして、今回は見送ります。

 作品の向うに作家が見える

宮部 気を取り直して、円地文子の「鬼」を推鷹します。円地さんってこういうものをお書きだったんですね。もう感動しました。

北村 それは嬉しい。宮部さんの「鬼」論を聞かせてください。

宮部 主人公は自分の望みを何でもかなえられる女性ですが、それが幸せと直結しないんですね。最初は、母親が娘を手放したくない、娘が女として自分以上の幸せを掴(つか)むのはどこか面白くないと思っている気持が描かれ、それが鬼の正体なのかと思わせるんです。ところが実はそうではなく、娘もその嫉妬(しっと)に似た感情を背負い込んでいくことになります。ただ、母方の一族に鬼がついているという道具立ては、ちょっと古めかしいですが。

北村 始まり方も時代を感じさせますよね。

宮部 けれど、これは深読みしようと思えばいくらでも深読みできる、非常に現代的な作品でもあると思います。親子の距離感を誤って起きる事件が頻発している今だからこそ、ぜひ読んでもらいたい。

北村 もう一作の「下町の女」と全く趣きがちがうのも面白いでしょう。

宮部 そうそう、「下町の女」は、お手伝いさんという言葉に閉じ込められ虐(しいた)げられた階層の女を、家政婦さんという言葉によって解放していくんだという内容で、ちょっとアジテーション的なところがある。今で言えばジェンダーに非常に敏感に反応した言論人ですよね。かといって、それ一辺倒ではなく、「鬼」のようなものを書かれているのはすごく興味深い。

 この二面性が私にはよく分る気がします。ミステリーを書きながら、犯罪はいけないし、そもそも犯罪が起るような状況を作っちゃいけない、犯罪被害者を救済する活動のお役に立てるなら参加したい、と強く思っている。ところが一方では、身も蓋(ふた)もない犯罪者を作品に登場させ、しかも犯罪者の抱える暗部が読者一人ひとりの中にもあるのだと思わせるように書く。そこには矛盾や葛藤(かっとう)があるんです。

 円地さんも、女であることの呪わしさや抑圧から女たちを解放しなくてはならないという使命感で「下町の女」を書く一方、作家としての創作欲は「鬼」のような作品を志向したのではないでしょうか。きっと、ご自身は「鬼」の方が楽しく書けたんじゃないかな。本当はそこまで踏み込んではいけないと思うんですが。

北村 そういう感じはします。読んでいて楽しかったですよね。

宮部 ストーリーテリングが優れていて、読者はいいように転がされる快感を味わえると思います。

北村 では「鬼」は決定しましょう。続けて宮部さん、もう一つどうぞ。

宮部 有名な作品ではありますが、清張さんの「張込み」を入れたいと。

北村 うーん。内容は異議なしですが、あまりに当り前すぎませんか。

宮部 ですが、そう思って以前、『松本清張傑作コレクション』を編む時に入れなかったら、「なぜ、入れなかったんだ」という反応が結構あったもので。

北村 「誤訳」はどうです。私、これ読んだことなかったですよ。

宮部 非常に短い作品ですよね。

北村 感心しましたね。というのは、下手心に書いたら理屈の先走ったとんでもない話になりかねないでしょ。それを清張先生が書くとこんなに読めちゃうのかというすごさ。特に出だしなんか、他の人が書いたらもたないですよ。

宮部 「スキーベ賞の本年度受賞はペチェルク国の詩人プラク・ムル氏に決定した」。

北村 普通、この書き出しでアウトですよ。SFかな、と思っちゃう。それを清張さんは人間心理の綾(あや)を描いた見事な短篇に仕上げている。

宮部 私はタイトルにそそられましたね。清張さんが森鴎外に傾倒していたのは有名な話で、文学を研究する人に大変な尊敬を払っていらした。その方がお書きになった「誤訳」というタイトルの作品なら、「さぁ、どんな話だろう」とワクワクします。

北村 なるほど。そう思うと「或(あ)る『小倉日記』伝」に通じるものがありますね。あの中で鴎外と離れて併走する主人公と、「誤訳」でプラク・ムル氏に併走する女性翻訳者がダブってきます。

宮部 清張さんは早い時期から文学を志していたにもかかわらず上の学校に進めず、同人誌で活躍なさってる頃も行商や下絵描きみたいな仕事をして、一途に文学を愛し続けた方でしょう。アンソロジーを編む時に作品を読み返して、清張さんが心から文学に憧(あこが)れ、大作家や文学を研究する人にピュアな尊敬と温かい気持を持っていらしたことがよく分りました。

北村 「誤訳」の翻訳者は誤訳の責任をとって身を引くわけですよね。

宮部 ええ。でもこの人に対する清張さんの「なぜあなたがこうしたのか、私には分っている」というやさしい気持が、とても胸にしみます。作品としては小品だし、派手な仕掛けもないけれど。

北村 「私には分っている」という眼差しはすべての作品に通じますね。

宮部 名作『菊枕(まくら)』もそうですし。

北村 いいじゃないですか。「誤訳」。

宮部 いいですねえ。じゃ、前言撤回。「誤訳」にします(笑)。

新潮社 小説新潮
2006年11月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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