宮部みゆき インタビュー『ソロモンの偽証 第I部 事件』―作家生活30周年記念・秘蔵原稿公開

インタビュー

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク

刊行開始記念インタビュー『ソロモンの偽証 第I部 事件』

[文] 宮部みゆき(作家)

 一九九〇年という年廻り

●本作の現在は一九九〇年です。宮部作品の中でも重要な『火車』や『理由』もバブル前後の日本がベースでしたね。

宮部 事件がまず一九九〇年のクリスマスに起こります。連載のスタート時点が二〇〇二年。その時点で既に大人になっている人たちが、自分たちの中学時代を振り返るという形にしようというのが当初からの構想でした。「そういえばバブルの真っただ中って私書いたことなかったね」なんて言いながら書き始めたんですよね。バブルを背景にポジションを決めてみたら、例えば土地狂乱ブームが、あることをする人物の動機づけとしてうまく時代にはまった。また、中学生たちもその空気を十分に吸っているからこそ、物語を推進するいろんな要素が立ち上がってきました。

●逆に今現在では成立しえない点もありますね。

宮部 ちょうど今、週刊誌で連載している『悲嘆の門』という小説で、学校裏サイトが絡む話を書いているんです。インターネットがこれだけ普及し、ツイッターあり、動画投稿サイトあり、学校裏サイトあり、学校の公式サイトもある。そんな状況では、この学校内裁判はまず実現できないでしょう。やはり九〇年にしてよかったんだなと思います。

 悪意は進化する

●宮部さんは、人間の悪意について繰り返しテーマにされてきました。今回は、十四歳なら誰しも持っている通過儀礼のようなマイナス感情が肥大してゆくというふうに、悪意がより普遍的なものになっている印象です。

宮部 私が怖がりだっていうことが原点です。もちろん災害も怖いし、お化けも怖い、でもやはり人間の悪意がいちばん怖い。その怖さは災害とかお化けと違って自分も持っているものなので、なおさら身に引きつけて怖い。もし自分が中学二年生のときにこういう状況に置かれたら、同じことをやったかもしれないという怖さがありました。怖いからこそそれを受けとめて、十四歳の子たちを、ある期待と希望を込めて、こうだったらいいなという書き方ができたのかもしれません。

●全体を通じて大きな比重を持っているのが告発状ですね。これを書いた主を知っているのは読者だけ。しかも学校という環境がその特定を阻んでいる。そこに外部からある者が事件に闖入して膠着状態が弾ける。この展開はお見事でした。

宮部 外部の悪意のある大人が余計なちょっかいを出すことで事件が拡大するのですが、その介入がなければあの告発状の件はちゃんと解決できたというふうに書いておく必要がありました。あの校長先生だったら、時間はかかったかもしれないけれども何とかできただろう。ところが横から邪魔が入って、もうお手上げになってしまう。話の展開としては最初から考えていたんですけれども、すごくアクロバティックだなと自分でも思いました(笑)。

 最も知恵ある者が嘘をついている……。

●ソロモン王というのは、神託を受けて人を裁くことを許された人物。それを「偽証」で受けたタイトルですが。

宮部 私の場合、いつもアイデアと一緒にタイトルが出てくる。これが同時に出てこない作品って、大抵ポシャるんです。今回は幸いにも全くブレなかった。敢えて説明してしまうなら、そうですね、最も知恵あるものが嘘をついている。最も権力を持つものが嘘をついている。この場合は学校組織とか、社会がと言ってもいいかもしれません。あるいは、最も正しいことをしようとするものが嘘をついている、ということでしょう。

●三巻分のエピグラフ、これはまだ読者の眼には触れていませんけれども、このエピグラフにもストーリーを滲ませておいでのようで。

宮部 第I部ではフィリップ・K・ディックの短編「まだ人間じゃない」から採りました。大人の都合で子供が振り回される社会を書いた話。タイトル自体、衝撃的なんですけれども。ケストナーの『飛ぶ教室』も象徴的な作品ですからどこかで使いたいなと思って相応しい一節を探していたら、誂えたようなフレーズが見つかりました。第III部は、『悪意の森』という割と新しい作品から。どんでん返しの効いた、非常によくできた心理サスペンスで、やはり子供たちが重要な登場人物なんですね。ある絆で結ばれている人たちの話で、しかも亡くなった友達が重要な要素になっている。忘れられないひと夏について触れた一節があって、あ、これだと。

新潮社 波
2012年9月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク