奇妙で明るい絵 滑らかな曲線で構成されたコラージュ

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茄子の輝き

『茄子の輝き』

著者
滝口 悠生 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784103353133
発売日
2017/06/30
価格
1,728円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

奇妙で明るい絵 滑らかな曲線で構成されたコラージュ

[レビュアー] 今井清人(文芸評論家)

何かのポスターの裏にマグカップとそこから垂れるようにヒトダマのような形をさらにマガタマのようなものを……。シャガールのデッサン力を批評する生意気な友人は滑らかな小さな図を書き加え続けて奇妙だけれど楽しい印象の絵を完成させた。村上春樹が群像新人賞をとった頃である。この6篇の連作+1篇の小説集を読んでいて、その絵をふと思い出した。

「お茶の時間」の舞台は、様々な機器や製品の取り扱い説明書を作るカルタ企画。社員十人ほどのその会社の週例会議でお茶汲み当番の改革案が「私」が入れあげている千絵ちゃんから出される。その実施案を「私」市瀬は先輩社員の鶴上さんと昼休みに考えることになる。「わすれない顔」は島根県の安宿が主な舞台。「私」は十年ほど前にそこに泊まったことを回想する。それは妻との新婚旅行であった。「高田馬場の馬鹿」で「私」は、久しぶりに通勤ルートを歩きながら、カルタ企画を辞めた二〇一一年の職場の同僚たちのことを回想する。会社は「私」の退職後まもなく倒産したのだった。「茄子の輝き」では、千絵ちゃんと二人で飲みに行ったことが回想される。千絵ちゃんが退社する日のことで、彼女は実家の出雲大社門前の土産屋に帰る彼氏について行くことにしたのだった。「街々、女たち」では、「私」はアパートに若い女を泊める。「私」が仕事帰りによった居酒屋のカウンターの隣の女に声をかけたのがきっかけだった。色めくことは何もなく翌朝「オノ」と名乗った女は朝食後帰っていく。ふと妻の言葉を思い出した「私」は、妻と暮らしたアパート、妻の実家に思いをはせる。「今日の記念」で運転免許のうっかり失効をしてしまった「私」は再交付の手続きをとることにする。区役所で住民票を取り鮫洲の免許試験場で手続きを終えて歩く帰り道で若い女に声をかけられる。それは二週間前にアパートに泊めたオノと名乗った女だった。

連作の語り手である「私」は同一である。二〇〇五年の冬に同棲していた伊知子と結婚し三年後に離婚、その直後カルタ企画に入社するが二〇一一年の冬に経営が難しくなってきたカルタ企画を退社、現在(二〇一六年)は小さな出版社に勤務、ということになる。離婚し活字媒体の仕事をするという点で村上春樹の連作長編『羊をめぐる冒険』『ダンス・ダンス・ダンス』の「僕」と共通する。仕事が小規模のもの(「僕」は「文化的雪かき」と表現)である点、離婚の理由が抽象的にしか説明できない点も似ている。しかし「僕」が物語の線をつくってゆくのに対して「私」はつくらない。「僕」は夫となり父となる年齢であることを意識するが、「私」はそうした男の物語から離れている。たとえば「街々、女たち」では、女が自分の部屋のベッドで寝ているのに「色めく想像力」が働かないことを自分自身は不自然とは思わない。それを三十三歳の男として「いくらか不健康なのではないか」と考えるのは「天井のあたりの誰かが述べる客観的な一般論」だとフラットに物語から離れる。「私」は自分を物語の主人公のように眺める天井=メタ・レベルからの視線を持たない。ただ滑らかに語り続ける、今ここの出来事を、記憶を、そして妄想を。それらは「私」にとって同じくらい確かであり不確なものなのだ。「私」の語りが作り上げるのは滑らかな曲線で構成されたコラージュだ。それには言葉を丁寧に紡ぐ高い伎倆が必要であることは 言うまでもない。巻末に併録された「文化」もその高いスキルが発揮された奇妙で明るい絵に仕上がっている。

週刊読書人
2017年9月1日号(第3205号) 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

読書人

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