前著よりさらに視野が広がる ことばの移り変わりをたのしむ著者の姿勢

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前著よりさらに視野が広がる ことばの移り変わりをたのしむ著者の姿勢

[レビュアー] 円満字二郎(編集者・ライター)

二〇一五年の年末に刊行された、『悩ましい国語辞典 辞書編集者だけが知っていることばの深層』の続編。前著同様、ことばの「誤用」についてさまざまな例を取り上げて、読者をおもしろがらせ、勉強させてくれる。

たとえば、「アンケートをする」と「アンケートをとる」とでは、どちらが自然な言い方なのか。あるいは、「逆鱗に触れる」とは、どういう相手を激怒させるときに使うべきことばなのか。さらには、「願わくは」と「願わくば」はどちらが正しいのか。もちろん、「忖度」だとか「ほぼほぼ」だとかいった、最近、話題の目新しいことばについて寸評を加えることも、忘れてはいない。

ただ、前著にくらべると、ことばを取り上げる際の視野が、さらに広がっているように感じる。「誤用」なのかそうでないのかを判断するだけでなく、ことばに関する興味深い事象を、いろいろと紹介してくれているのだ。

いくつか例を挙げれば、「携帯電話」ということばは明治時代からあったとか。最近では、「銀ぶら」を「銀座でブラジルコーヒーを飲むことだ」とする説が出回っているとか。実は「ホッチキス」は語源がはっきりしないことばなのだとか。「五十音図」が書けない大学生がいるという話にはぶっ飛んだし、カタカナの「ヲ」の正しい筆順には、なるほど! と大きく縦に首を振ったものだ。

本書の記述の底に流れているのは、ことばの移り変わりをどこかでおもしろがっている、著者の姿勢である。辞書の編集者というと、しかつめらしい顔をして仕事をしていると思われがちだ。しかし、三十七年もこの仕事をしてきた神永氏は、さすがに違う。

本書の元になったWEB連載は、今なお継続中だ。そう遠くない将来、第三弾も出ることだろう。シリーズを通じて、他人のことばの「誤用」を指摘して喜ぶような態度ではなく、ことばの移り変わりをたのしむ姿勢が、広く読者の間に培われていくことを望みたい。

週刊読書人
2017年9月1日号(第3205号) 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

読書人

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