『坂口安吾論』 柄谷行人著

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坂口安吾論

『坂口安吾論』

著者
柄谷行人 [著]
出版社
インスクリプト
ジャンル
哲学・宗教・心理学/哲学
ISBN
9784900997677
発売日
2017/10/14
価格
2,808円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

『坂口安吾論』 柄谷行人著

[レビュアー] 苅部直(政治学者・東京大教授)

突き放すものの美

 砂浜に引きあげられた舟の舳先(へさき)に腰かける坂口安吾。この本の表紙に使われている写真はその姿を撮ったものである。ある地方の海辺での一枚だが、足は地面から高く離れ、目は遠くの空を見つめている。「ふるさと」の密着したぬくもりを拒絶しながら、見えない何かに親しんでいるような。

 親密さをまとった風土ではなく、ただ広がる海と空のように「単調で果てしないもの」、そして聴き手を残酷に「突き放す」物語に、むしろ真の「ふるさと」を安吾は見いだした。後者では予想をこえた不快な物事が、むしろ崇高な美を帯びたものとして立ち現れるだろう。そうした洞察に安吾の特異性と、特異であるがゆえに発見しえた人間の生についての普遍的な原理を、柄谷行人は読み取っている。

 一九九八年から安吾全集の月報に連載した論考が、約二十年をへて一冊の本にまとまった。柄谷がまず強調するのは、安吾の思考に見られる「時代錯誤性」にほかならない。モダニズムとマルクス主義の全盛期であった青年時代に、あえて仏教への没入を試みる。戦後の文章としか思えない内容を、すでに戦時中のエッセイで語っていた。まるで歴史の中にいないようでありながら、「現場にいる」実感が鮮烈である。

 日中戦争の時代、ナショナリズムに呪縛される周囲の知識人とは反対に、安吾はキリシタンと日本の交流史に関する研究を始めた。また戦後も古代の政治史に朝鮮半島からの影響を探っている。海と砂浜の単調な風景に「ふるさと」を感じるという安吾の独白があるが、新潟の砂浜から日本海の向こうにある大陸について考えていたのではないか。そう柄谷は説く。

 安吾の「ふるさと」は普遍的な世界にむかって開かれていた。この指摘と、憲法第九条を擁護した安吾の議論に関する考察が、このたびの再録にあたり加筆された。安吾の文学をめぐる思考は、変化しながらいまだ持続中である。

 ◇からたに・こうじん=1941年生まれ。思想家。『日本近代文学の起源』『世界史の構造』など。

 インスクリプト 2600円

読売新聞
2017年11月12日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

読売新聞

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