『注文をまちがえる料理店』
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ハンバーグを頼んだら餃子が出てくる? 「注文をまちがえる料理店」が教えてくれる大切なこと
[レビュアー] 印南敦史(作家、書評家)
今から、この料理店についてお話をして行くのですが、まずはみなさんに知っておいていただきたい、この料理店ならではの特別な“ルール”をお伝えしておこうと思います。
「このお店では、注文した料理がきちんと届くかは、誰にもわかりません」(中略)
「このレストランで注文を取るスタッフは、みなさん認知症の状態にあります」
認知症の状態にある方が注文を取りにくるから、注文を間違えてしまうかもしれない。だから、頼んだ料理がきちんと届くかどうかは、誰にもわからない、いうわけです。
でも、“そんな間違えを受け入れて、間違えることをむしろ楽しみましょう”というのが、この料理店のコンセプトです。
(Prologue 「『注文をまちがえる料理店』ができるまで」より)
こう説明するのは、テレビ局のディレクターだという『注文をまちがえる料理店』(小国士朗著、あさ出版)の著者。認知症の状態にある方々が暮らすグループホームを取材しているときの体験が、本書の執筆につながったのだそうです。
ロケの合間にちょくちょく、入居者のおじいさん、おばあさんのつくる料理をごちそうになっていたのですが、その日のお昼ごはんは強烈な違和感とともにはじまりました。
というのも、聞いていたその日の献立はハンバーグ。
でも、食卓に並んでいるのはどう見ても餃子です。
(Prologue 「『注文をまちがえる料理店』ができるまで」より)
頭のなかに「?」マークが並んだといいますが、「これ、間違いですよね?」と尋ねたら、おじいさん、おばあさんたちが築いている“あたりまえ”の暮らしが台無しになってしまうかもしれない。しかも考えてみれば、ハンバーグが餃子になったって、誰も困らない。間違えたって、おいしければそれでいい。
にもかかわらず「こうじゃなきゃいけない」という“鋳型(いがた)”に、認知症の状態にある方々をはめ込んでしまえば、どんどん介護の世界は息苦しく窮屈になっていく。そしてそんな考え方が、従来型の介護といわれる「拘束」や「閉じ込め」につながっていく。著者は、そう感じたというのです。そしてそれが、「注文をまちがえる料理店」というアイデアに結びついたということ。
そして、このエピソードをきっかけに「間違えることを受け入れて、間違えることを一緒に楽しむ。そんな新しい価値観をこの料理店から発信できたら…」という思いが高まってきたことから、「“注文をまちがえる料理店”というのをやりたいんですけど…」と話して回り、本格的にお店をオープンする仲間集めを開始。
その結果、わずか2カ月で認知症介護の専門家、デザインやPR、デジタル発信やクラウドファンディングの専門家、テレビ局の記者や雑誌の編集者、外食サービスの経営者など、各分野のプロフェッショナルが集結し「注文をまちがえる料理店実行委員会」が発足。2017年6月3日、4日の2日間限定で、都内にある座席数12席の小さなレストランを借り、試験的にプレオープンすることに。これが大きな反響を呼び、テレビ各局、新聞、雑誌からの取材依頼が殺到したというのです。
「ま、いいか」という寛容さ
「注文をまちがえる料理店」をやってみた結果、いちばんの発見は「ものすごい数の間違いが起きるんだな」ということだったそうです。しかし重要なのは、誰ひとりとして怒ったり、苛立ったりした人はいなかったということ。そして著者自身も好奇心から、お客の立場として体験してみた結果、「怒らない」「苛立たない」という気持ちがわかったのだといいます。
「間違えられちゃうのかな…」というドキドキ感、間違えられたときの「伝えるべきか」という葛藤、「ま、いいか」という結論、それらすべてがとても新鮮だったというのです。著者はそれを「世界の見え方が、まるで変わったような気がしました」と表現していますが、お客さまも同じような気持ちだったことは、感想を尋ねたアンケート結果にも明らか。
・ サラダが2回出てきたけど、スープはきませんでした。でもそれもまあいいかと思います。たいした問題ではない。それでいいんです。
・ 普通のお店なら怒るかも知れないけど、笑顔で受け止めることができました。
・ 間違っても大丈夫な空気がありました。
(204ページより)
こうした、お客さまの醸し出す“寛容”な空気こそが、「注文をまちがえる料理店」が目指していたひとつの到達点だったのだと著者は記しています。(202ページより)
間違いを受け入れ、一緒に楽しむ
とはいえ当然のことながら、この料理店で認知症のさまざまな問題が解決するわけではありません。しかし大切なのは、間違えることを受け入れ、間違えることを一緒に楽しむこと。そんな、ほんのちょっとずつの“寛容さ”を社会の側が持つことができたら、これまでにない新しい価値観が生まれるのではないかと著者はいうのです。そもそも、たいていの間違いというものは、実はたいしたことではなく、ちょっとしたコミュニケーションで解決してしまうものだということです。
ただし、そうはいっても、それほど簡単にみんなの寛容さ(著者はこれを「ま、いいか」スイッチと読んでいます)が入るわけではないでしょう。だからこそ、そういう気分にさせるいくつもの仕掛けが必要。つまり、「注文をまちがえる料理店」にはそれがあるということです。(205ページより)
堂々と自信を持って働ける場所
これまで「間違える」という行為、あるいは認知症という状態は、社会的には“コスト”と考えられてきたと著者は指摘します。ところが「注文をまちがえる料理店」という存在が登場することによって、その「間違える」というコストがひっくり返り、大きな“価値”に変わってしまったというのです。
実際、「注文をまちがえる料理店」のなかにいると、哀れみや同情、「かわいそう」といったネガティブな感情はほとんど見受けられなかったといいます。もちろん、「わずか1時間程度の限られた時間だからこそ、楽しく寛容な心でいられる」という側面があるのでしょう。あるいは、もし身近な家族に認知症を抱える方がいらっしゃったとしたら、「そんな気持ちにはなれないよ…」と感じたとしても無理はありません。ただ、それでも「注文をまちがえる料理店」のなかでは、お客様が認知症の状態にある方を見つめる視線が、こちらが不思議に感じるほどキラキラしているのだそうです。
だとすれば、なぜ「キラキラ」が生まれるのでしょうか? 著者によれば、その答えはシンプルなもの。「みなさんが堂々と、自信を持って働けているから」だということです。(211ページより)
ひとりひとりが仲間
2017年9月16〜18日、同じ都内の六本木に場所を移し、「注文をまちがえる料理店」は再びオープンしたそうです。さまざまな仲間、企業が多数参加したといいますが、その中心にいた、認知症を抱えるホールスタッフは総勢18人。9月21日のアルツハイマーデーを前に開催した料理店には、300人ほどのお客さまが訪れ、大盛況のうちに終了したといいます。
大きな事故もなく、無事に開催できたことに心からホッとしました。
また、9月の開催にあたって、僕たちはReadyforのクラウドファンディングサイトを使って資金を調達しました。
24日間の期限で目標額800万円に対して、493の個人、企業、団体から1291万円のご支援をいただくことができました。
(223ページより)
ところで3日間の開催期間中、著者にとって印象的だったのが、間違いの数が劇的に減ったことだったのだとか。プレオープンのときには60%だった間違い発生率が、9月は30%に減ったというのですから驚きです。
それは、オペレーションを再度見なおし、より間違えないためのサポート体制を敷いた結果だそう。「注文をまちがえる料理店」が「注文をまちがえない料理店」になろうとしているということですが、著者はそれでいいのではないかと思っているといいます。なぜなら、間違えることを目的にはしていないから。
間違えたくて間違えている人はいないし、忘れたくて忘れている人はいない。
だから、適切なサポートをすれば、認知症を抱えていたって働ける。
お客さまも喜ぶサービスだって十分に提供できる。
(226ページより)
その可能性を示すことができたのだから、それは大きな一歩だったというわけです。(222ページより)
好むと好まざるとにかかわらず、僕たちは今後、多くの高齢者とともに生きていくことになります。そんななかで大切なのは、著者のいうように彼らを「受け入れる」ことであるはず。
そして、だとすれば大きな意味を持つのは、こちらの感じ方、接し方であるはず。「将来的に自分たちはどうすべきか」をイメージしてみるきっかけとして、本書を手にとってみてはいかがでしょうか?
Photo: 印南敦史