サブカル培養器だった「エロ雑誌」 名編集長の追悼刊行

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80年代全盛のエロ雑誌はサブカルの培養器だった

[レビュアー] 都築響一(編集者)

 昭和52(1977)年には全国でエロ本自販機が1万737台あったという(警察庁調べ)。「自販機本」と言われる雑誌の中には10万部前後を売り上げるベストセラーや、発売日には自販機の前に列ができるものもあったとか。1970年代末から80年代前半にかけて、自販機本やビニール本といった、いわゆるエロ雑誌が単に孤独な男性の夜の友にとどまらず、サブカルチャーの培養器であったことは、日本出版史でも特筆されるべき出来事だろう。

 のちに白夜書房となるセルフ出版の黄金期に、末井昭さんの『ウイークエンドスーパー』と人気を二分したのが『ZOOM-UP』。「エキサイティング・ムービーマガジン」とサブタイトルがついたピンク雑誌で、その名物編集長が池田俊秀さんだった。70年代末にはピンク映画の製作本数が年間200本を超え、エロ雑誌に呼応するように映像のサブカルチャーを支えていたのだった。

 エロ雑誌もピンク映画も絶滅危惧種となった2017年のいま、「エロ」と蔑まれたメディアに沸騰していた表現への情熱を掻き出してくれるのが『エロ本水滸伝』。たった49歳で97年に亡くなってしまった池田さんの、没後20年を記念した刊行である。

 当時のエロ本とサブカルチャーの関係については多くの論考があるが、まったく同時代に『POPEYE』(76年)が、『BRUTUS』(80年)が生まれていた。サブカルチャーから見ればそれはメインカルチャーだったろうが、両極を行ったり来たりする読み手や書き手が実はたくさんいて、それが雑誌というメディアの黄金期をつくっていたのだと、いまになって思う。

 あの時代に育まれた表現者が、たとえば荒木経惟さんであったりするわけだが、では現在、そんなふうにエロと非エロを、サブとメインを自由に行き来できる表現者がいるだろうか。そんな表現者を育てるメディアがあるだろうか。

新潮社 週刊新潮
2017年11月23日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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