股の向こうに、お江戸が見える 『とんでも春画―妖怪・幽霊・けものたち―』

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とんでも春画

『とんでも春画』

著者
鈴木 堅弘 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
芸術・生活/絵画・彫刻
ISBN
9784106022753
発売日
2017/05/31
価格
1,760円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

股の向こうに、お江戸が見える

[レビュアー] 東雅夫(アンソロジスト・文芸評論家)

 宿直勤務、修学旅行、悪天候で足止めされての夜明かし、ただの暇つぶし……何らかの事情で一堂に会した人々が、夜半よわの徒然に語り合い、盛りあがる話題といえば、怪談か猥談──すなわち、怖い話かエッチな話と、昔から相場が決まっている。

 これはあながち偶然とはいえないだろう。恐怖とは、死と隣り合わせの感情であり、生存本能に直結するものだ。一方の情欲は、申すまでもなく生殖本能に由来している。

 つまり、死を回避して生きのび繁殖するという、生物にとって最も原始的で切実な本能に、根深いところで結びついているからこそ、怪談や猥談は、われわれの関心を常に搔きたててやまないのではないか。そして、むきだしの本能に直結するものだからこそ、怪談も猥談も白昼公然と人前にさらすことがためらわれ、暗がりでこっそり味わうべき、隠微な娯楽とされてきたのではないか。

 股間もあらわな女や男が、副題にあるとおり「妖怪・幽霊・けものたち」と放恣に交わっていたり、あるいは性器そのものの姿をした妖怪変化や神々が跳梁跋扈したりする、まさしく「とんでもない」春画の世界を紹介した本書をいそいそと賞翫しながら、そんなことを考えていた。

 私の専門は春画ではなく、怪談や妖怪(それも文学畑)なのだが、そうした「おばけ」関連の美術書にも、この種の春画が掲げられることは過去にもあった。大蛸子蛸に凌辱されて恍惚たる表情を浮かべる海女を描いた葛飾北斎の「蛸と海女」、顔面女陰の女怪にょかいを描いた月岡芳年の《驚心動鼻図》は、その典型だろう。

 とはいえ、これほど大量かつバラエティ豊かな「とんでも春画」が、当代一流の画家たちの手で、近世を通じて飽くことなく描き続けられていたとは、しかも、それらを系統立てて分類整理し、きちんと学術的に跡づけようとする奇特にして気鋭の研究者がこうして存在したとは、たいそうな驚きであった。

 その意味で本書は、近世絵画史のみならず、幻想文学史や江戸文化史の観点からも真に画期的な意義を有する書であるといわねばなるまい。

 とりわけ興味深いのは、近世の民間信仰や、寺社の祭礼にともなう見世物興行などの場で、亀頭や女陰の擬人化ともいうべき春画に特有のキャラクターが実体化し、庶民の子授け信仰や享楽の対象物になっていたという実例を挙げての指摘である。

 また、著者が妖怪春画の嚆矢と位置づける勝川春章『百慕々語ひゃくぼぼがたり』が、妖怪画の大古典たる鳥山石燕の『画図百鬼夜行』に数年先んじて描かれており、しかも近世怪談の代名詞というべき「百物語」をもじった書名(「ぼぼ」は女陰のこと)を有するという点も、まことに示唆に富む。

 ともすればキワモノとみなされ、まともな考究の対象とならなかった分野を真摯に掘り下げることで、近世文化史の地下水脈が陽の目を見ようとしていることに昂奮を禁じえない。なお、造本やレイアウトの随処に認められる遊び心が、本書をより親しみやすいものにしていることも忘れずに付言しておきたいと思う。

新潮社 波
2017年6月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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