「荷風」追憶の街並みが… 透視しながら歩く随筆

レビュー

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『濹東綺譚』を歩く

『『濹東綺譚』を歩く』

著者
唐仁原 教久 [著]
出版社
白水社
ジャンル
文学/日本文学、評論、随筆、その他
ISBN
9784560095805
発売日
2017/10/25
価格
2,592円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

小説の風景の奥に隠された夢幻の味わいのあれこれ

[レビュアー] 渡邊十絲子(詩人)

 永井荷風を読んでいて、ほかの小説とは異質だと感じることがある。ふつう小説は、人と人との関係や、人の心の動きに注意をはらうものである。ところが荷風はちょっと違う。どこをめくっても、人よりもむしろ背景にピントが合っているような雰囲気なのだ。たしかに人間は描かれているが、そこに没入することがない。心から人になじむことができない作家だったからなのか。かえって印象的に描写されているのは、いつかは壊される建物、一掃される運命にあるがらくた、家の中から漏れてくる生活の音や光、着々と生まれ変わっていく繁華街などである。そうやって、時代の移り変わりとともにうち捨てられていく風景を惜しみ、記念して書いているようだ。

 だから、自分の視野が人でぎゅうづめに満たされ、誰がどうしたとか誰にどう思われたとかで心がいっぱいいっぱいになったとき、荷風を読むと救われる。ただでさえせまい視野に、人ばかりつめこんでいる余裕はない。人なんかじきにみんな死んでしまうから、いいんだ。

 この本は、荷風の描写した町並みや部屋のなかの情景などを現代の風景のうしろに透視しながら歩く随筆である。挟み込みの地図もあり、読者が実際に歩いてみることもできる。しかし紀行文ではなく、あくまでも荷風の文章にぴったり沿いながら、とうに消えてしまった風景を撫でるようにいつくしむ。そう、こんな本が欲しかった。

 透視構造はさらに重なっていて、小説の風景の奥にもうひとつ、著者は荷風の歩いた実景をも透かし見ようとしている。見える事物が二重、三重になってもうるさくない。むしろ夢幻の味わいである。自分もこんなふうに町並みを見たいと思う。

 著者はイラストレーターで、この本にもふんだんな挿絵がある。あたたかくて、しかしどこまでも寂しくて、描かれたものが「いまはない」ことを意識させる絵だ。

新潮社 週刊新潮
2017年12月7日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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