濃密な死の気配

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異形のものたち

『異形のものたち』

著者
小池 真理子 [著]
出版社
KADOKAWA
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784041058619
発売日
2017/11/29
価格
1,540円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

濃密な死の気配――【書評】『異形のものたち』千街晶之

[レビュアー] 千街晶之(文芸評論家・ミステリ評論家)

 あらゆる人間にいつかは必ず訪れるもの、それが死である。しかし、平等だからといって死が怖くなくなるというものでもない。怖がってばかりいても仕方がないので普段は忘れるようにしていても、ふとしたはずみに死は念頭に浮かぶから厄介だ。小池真理子の怪談小説を読んでいると、そんな死の恐怖が意識下から蘇ってくるのを感じる。

 著者はサイコ・サスペンスから恋愛小説まで、さまざまなジャンルで活躍しているが、当代随一の怪談の名手でもある。今年、その代表的な怪談集である『怪談』(二○一四年)、『夜は満ちる』(二○○四年)、『水無月の墓』(一九九六年)が、三カ月連続で集英社文庫から刊行されたことは記憶に新しい。一九九○年代の作品から近作まで、著者の怪談作家としての筆歴が窺えるようになっている。この三冊の収録作以外にも怪談短篇の作例は多く、『小池真理子短篇セレクション3 幻想篇 命日』(一九九七年)所収の「命日」は、個人的には著者の全作品中でも最恐の短篇だと思う。

 そんな著者の新刊『異形のものたち』も、日常と怪異の邂逅を描く六つの短篇から成っている。

「面」の冒頭の八ページを読むだけで、著者の小説作法の見事さは明白だ。主人公が何者であるかを最初は記すことなく、周囲を取り巻く風景の描写から始まる。よく晴れた空の下、畑のあいだをどこまでも延びている細い道。風に乗って微かに漂ってくる堆肥や腐った野菜のにおい。雑木林の中で狂ったように鳴いているハルゼミ……と、真っ白なキャンバスを少しずつ埋めてゆくように、視覚、嗅覚、聴覚からそれぞれ伝わってくる情報が補充されてゆく。そして、主人公を取り巻く風景が具体的に読者の脳裏に描き出された頃合いを見計らうようにして、さっきまで騒々しく鳴いていたハルゼミたちの不意の沈黙とともに、主人公の前に忽然と現れる異形の者─。およそ怪談小説を書こうと思う者は、すべからくこの八ページを熟読玩味すべし、と言いたくなる巧みな筆致である。

 他の短篇も、主人公の日常の描写から怪異との遭遇へと自然に筆を進める匠の技を堪能できる。森の奥の別荘に、事故死した住人親子の姿が揺曳する「森の奥の家」。地方都市の古めかしい歯科医院での不可解な体験を綴る「日影歯科医院」。夫の急死後、遺された妻が、家の中に出没する何者かの気配に怯える「ゾフィーの手袋」。恩師の葬儀の帰り、たまたま立ち寄った宿で女将から怪談を聞く「山荘奇譚」。住人が死んだ筈の隣家の異変を描いた「緋色の窓」。

 それらの作品を通読すると、作中に立ちこめる死の気配の濃密さに戦慄させられる。「面」の主人公の両親の死、「森の奥の家」の別荘の所有者親子の事故死、「ゾフィーの手袋」のゾフィーの自死、そして「緋色の窓」の姉の流産や隣家の住人の死。物語の展開の中で彼らが死ぬのではなく、まず前提として彼らの死があり、そこから話が進んでゆくというのも共通している。

 例えば「山荘奇譚」の場合、物語の構成だけで言えば、恩師の死で始まらなければならない必然性はない。主人公がいきなり宿に行っても話は成立するのである。しかし、心霊現象の類を信じない、一見剛毅なこの話の主人公にしても、他の話の主人公が親しい人間との死別・生別を体験したのと同様、恩師の死によって衝撃を受けた筈なのだ。そのような心の衰弱から生まれる隙に怪異は忍び寄り、生者にひっそりと寄り添う。

 そして人間誰しも、親しい人間の死を一度や二度は体験する以上、本書の主人公たちに近い心境になったこともあるだろう。著者の怪談小説の尋常ならざるリアリティは、死とは常に身近に存在するものだという、普段は忘れている事実を読者に思い出させることから醸し出されるのだ。

KADOKAWA 本の旅人
2017年12月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

KADOKAWA

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