修行は決してつらいものではない。禅寺のお坊さんに学ぶ「朝の習慣」

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修行は決してつらいものではない。禅寺のお坊さんに学ぶ「朝の習慣」

[レビュアー] 印南敦史(作家、書評家)

お坊さんにならう こころが調う 朝・昼・夜の習慣』(平井正修著、ディスカヴァー・トゥエンティワン)の著者は、臨済宗国泰寺派全生庵住職。本書においては、1日を清らかにスタートし、「不安や心配な気持ちをしずめ、心を落ち着かせる」方法を伝授しているわけです。まず印象的なのは、「はじめに」に確認できる以下の部分です。

いま、心理学や脳科学に基づいた、「心をしずめる方法」が世の中にはたくさんあるようです。しかし、人間の心をどう扱うかと考えるときに、必ずしも科学的なアプローチだけが有用だとは私は思いません。

むしろ、理屈ではなく、人間の経験に基づく智慧(ちえ)にこそ、私たちの不安な気持ちを解き放ち、穏やかに暮らすためのヒントがあるのではないかと感じています。

それが、禅寺の修行であり、座禅なのです。(「はじめに」より)

「修行」という言葉には、なにか特別なことをしているような、あるいは「水を被る」「滝に打たれる」「断食を続ける」というようなイメージが少なからずあります。しかし、著者が行ってきた臨済宗の禅道場での修行は、そんなに特別なことをしているわけではなく、特別な力がつくわけでもないのだか。むしろ、「修行そのものが、修行とも感じられなくなる」ということを、いちばん大切にしているというのです。

そもそも修行とは、心、体、そして習慣の基本を勉強することです。習慣を身につけることによって、生活の形をつくっているわけです。それによって、人間の中身も自然と調っていくということです。(「はじめに」より)

世の中にはいろいろな理屈や考え方が存在しますが、最終的にいちばん大切なのは、人間の心なのだと著者は主張します。なぜなら、あらゆる行為はその人の心から成り立っているのだから。いわば修行、坐禅とは、自分の心のありようを見つめ、できるだけ正しくあろうとすること。そこで、著者が行っていることを参考にし、朝、昼(日中)、夜の習慣を少しだけ変えてみようということ。

そんな考えに基づいた本書の第1章「一日を清らかに始める『朝の習慣』」から、いくつかを引き出してみることにしましょう。

目覚まし時計が鳴ったら、パッと起きる

朝、目覚まし時計が鳴っても起きられないという人は少なくないでしょうが、それは著者も同じなのだそうです。まずそのことを認めたうえで、「では、なぜ目覚ましをセットしたのでしょうか」と読者に問いかけています。

いうまでもなくそれは、その日、その時間に起きなければいけないと、前の日に思ったから。

ということは、やるべきことがあるということ。「その日、この時間に起きなければならない」という、なんらかの予定があるわけなので、まずはそこを思い出すことが大切だといいます。「そもそも、なんで、こんな時間に目覚ましをかけたんだっけ?」ということ。

すごく体が疲れているとか、前日に飲みすぎたとか、なかなか起きられないのにはいろいろな理由があるもの。でも、決まった予定があり、起きなければいけないのだから、早く起きたほうがいいということ。いうまでもなく、パッと起きないと、起きるのがどんどんつらくなります。だったら、目覚ましが鳴ったら、余計なことを考えずにパッと起きる。そのほうが楽だという、きわめてシンプルな考え方です。(16ページより)

呼吸を調える

朝にはやるべきことがたくさんありますが、心を落ち着かせるために著者が勧めているのが、自分の呼吸を数えること。著者の坐禅会でも初めての人には、「自分の呼吸に集中して、『ひとーつ、ふたーつ』とゆっくり数え『とーお(十)』に鳴ったら、また一から数えなおすといいでしょう」と伝えているのだそうです。

これは「数息観(すそくかん)という修行です。これならば、オフィスや電車の中などでもできるでしょう。

「調身・調息・調心」という禅語があります。「坐禅を組むことで、姿勢を正しくし、正しい呼吸を行う。すると、自然と心も調う」という意味です。不安や悩み、怒り、嫉妬などの感情が軽くなり、心もしずまるのです。

心を落ち着けようとしても、不安が次々と生まれてくると、容易に止めることはできません。その点、身体や呼吸であれば、意識して調えることができます。というわけで、まず呼吸を意識してみましょう。(25ページより)

つまり「十まで数える」というのは、そのためのひとつの方法。もちろん数を数えなくても、自然に呼吸を調えることができるようになればそれがベストではあります。でも最初のうちは「十まで数える」ことに没頭すれば、いつの間にか理想的な呼吸ができるようになるのだそうです。

なかには、すぐに十まで数えてしまえる人もいるでしょうが、その場合は、もっとゆっくり呼吸するようにしてみるといいそうです。「ひとーつ」をちょっと長くして、「ひとーーつ、ふたーーつ」と深く長く息を吐くようにすると、十までの時間が長くなります。こうして、呼吸に没頭するというわけです。

なお意外な気もしますが、臨済宗では坐禅の際に目は閉じず、「半眼」にするのだといいます。開いてもいない、閉じてもいない状態で、なにを見るのでもなく、目の前1メートルほどの畳に視線を落とすというのです。見ているのはただの畳なので、集中してみようがありません。目では畳を見ているのだけれど、なにも見ていないような状態に自然になっていくのだそうです。

「集中する」ということは、なにか対象がないとできないもの。畳の部屋で座禅をしていると、集中できるものは唯一、呼吸しかないことになります。

無意識にできているものであるだけに、呼吸を意識することは少ないはず。しかし、ときには、「吐いて、吸って」という自分の呼吸を意識してみることも大切だといいます。「自分の呼吸はこれでいいのだろうか」「もっと長く吐いてみようか」「鼻から吐くのか」「口から吐くのか」「少し吸うのか」「大きく吸うのか」などを意識するということ。

日常生活のなかでやってみるのであれば、余計なものが見えないように目をつぶってしまってもOK。とにかく、自分の呼吸だけに集中するわけです。すると、生まれてこのかた、案外複雑なことを当たり前にしてきたのだなということに気づくといいます。

私たちはよく「無になりなさい」と説きますが、いきなり「無になろう」と思っても、何をどうしたらいいのかわからないでしょう。そもそも、「無」という状態がどんな状態かもわからないわけですから。

だから、呼吸です。ほかの情報はできるだけシャットアウトして、自分の呼吸に集中し、吐いて吸うことに没頭して見てください。(27ページより)

すると、たった半畳ほどの空間に、いま自分がたしかにいるということ、そして、「いまいるのは自分の場所なんだ」ということなどを感じられるかもしれないといいます。そしてそのとき、不安や怒りといった感情は収まり、穏やかな心になっているというのです。(24ページより)

「おはよう」で人間関係をリセットする

前日に誰かとけんかをしたり、気まずい雰囲気になったというようなことはあるもの。きょう、またその人に会わなければならないとしたら、お互いに相手の顔色を見てスタートすることになりますから、いい気分ではありません。

でも、そんな気分は一日たったらリセットしようと著者は提案しています。そのために大切なのは、朝にその相手と会ったとき、自分から「おはよう」と明るく言うこと。あるいは、会った瞬間に「昨日はごめんね」とひとことだけ伝える。それでいいというのです。「おはよう」という言葉を使って、自分と相手との関係をリセットできるのは朝だけだということ。

前日の出来事を引きずったまま、朝会った瞬間に一回「あっ」と見合ってしまったら、「先にあいさつすると負け」というような気持ちになってしまいがち。本当は勝ち負けの問題ではないのに。だからこそ、自分から「おはよう」でリセットして、新しい気持ちで一日をスタートするべきだという考え方です。

朝いちばんに自分から言う「おはよう」は、「心のクリーニング」という意味で坐禅に通じるものです。座禅を組むかのように、自分の心を1回捨ててみるチャンスなのです。

自分にこだわっているときには、「あの人は何だ。私がこう言ったら、あんな言い方をして」などと、相手を悪者にしてしまうものです。

そんなときは毎朝一回、自分を捨てて、「なんか相手を気分悪くさせちゃったかな」「ちょっと悪かったかな」と、素直になるのです。(61ページより)

そして、著者はここで「器量」という言葉を引き合いに出しています。人間は、ものを見たり聞いたりして感動しますが、それは結局、そのもの自体ではなく、自分が感動しているということ。つまり自分の範疇、いわば「器量」のなかでしか、人間は感動したり、ものを理解したりはできないということ。

いくら優秀な大学の教授でも、幼稚園児にわかるように話せるとは限らないもの。幼稚園児に話すのが上手なのは、むしろ幼稚園の先生です。つまりそれが、その人の「器量」。そう考えると、自分自身の「器量」が、すべての人に通じるとは限らないということがわかります。「器量」が異なる人間同士が関わりあうから、けんかになったり、雰囲気が悪くなったりするということ。

だからこそ、毎朝、自分から「おはよう」と口に出すことで、自分の「器量」を認めることが大切だという考え方。また、その「器量」を毎日、少しずつ大きくしていく努力も忘れずに。(60ページより)

本書で紹介されている全46項目は、どこから読みはじめることも可能。つまり、自分にできそうなことから、自分のペースで試してみることができるわけです。その結果、不安や心配な気持ちを沈め、心を調えるヒントを見い出せるようになるかもしれません。

Photo: 印南敦史

メディアジーン lifehacker
2017年12月5日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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