宮部みゆき 書評「解らなくていい」―作家生活30周年記念・秘蔵原稿公開

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「少年A」14歳の肖像

『「少年A」14歳の肖像』

著者
高山, 文彦, 1958-
出版社
新潮社
ISBN
9784101304328
価格
440円(税込)

書籍情報:openBD

解らなくていい

[レビュアー] 宮部みゆき(作家)

1997年に起きた少年Aによる神戸連続児童殺傷事件。この事件に衝撃を受けた宮部さんが本事件のルポルタージュを読み、この事件について考えた結果、一つの真の答えを導きます。このような事件が起きた時、忘れてはいけない大切なことを教えてくれます。

 ***

 一読して、頭を抱えてしまいました。

 本書『「少年A」14歳の肖像』は、高山文彦さんの手になる、本年二月に上梓された『地獄の季節』に続く神戸の連続児童殺傷事件のルポタージュです。

 あとがきのなかで高山さんご自身が、
「(『地獄の季節』で)核心にまで迫りきれなかった歯がゆさと悔恨とが、いつまでも頭にこびりついて離れなかった」

 とお書きになっているのを見ればわかるように、『地獄の季節』が事件の全体像とそれが社会に与えた衝撃とを俯瞰するように書かれていたものであるのに対して、本書は、あくまでも一連の事件の犯人である「少年A」と、彼を育んだ家庭とに焦点を絞って書き進められています。前著を未読の方はぜひともまずそちらから、また、少し前に同じ新潮社から出版された、殺害された少年のお父様の手記『淳』も、本書と共に合わせ読んでいただきたいと思います。

 この余りにも悲しくてやりきれない事件について連日報道されていた当時、私は、日々ニュース番組や新聞を見ながら、やっぱり頭を抱えていました。そのころの気持ちを、今回『14歳の肖像』を読みながらあらためて思い出し、ひどく気落ちしてしまいました。

 なぜそんなふうになったのかと言えば、それは、自分にはもう「現代」は解らない――という深刻な壁に突き当たったからでした。現代社会とそこに生きる人間は、やっぱり私のようなお気楽な物語作家の手に負えるものでは全然なかったのだ、これではもう、作品として書いてしまえばなんとかなるだろうという楽観的な錯覚さえ抱くことはできない、潔く棄権するべきときだと思ったからでした。

 私には解らない。なぜこんな事件が起こるのか。なぜ、十四歳の男の子が無垢で無防備な少年少女たちを殺傷しなければならなかったのか。どうしても解りません。

 ですから今回、本書を早々に校正刷りの段階で読むことができたのは、とても嬉しかったのです。私はタオルを投げてしまったけれど、『地獄の季節』の高山さんが、一人のジャーナリストとして、細かな事実を取材・集積した上で、この事件のいわば本丸である少年Aを、いったいどんなふうに描いておられるのだろうか、という興味があったからです。

 高山さんは、きめ細かな取材と深い洞察力をもって、本書のなかに、確かに「少年A」を生身の存在として息づかせることに成功しています。今のところ、一連の事件についてこれほど丁寧に書かれたものはちょっと見当たらないと思います。

 でも、やっぱり解らなかった。そしてふと、顔に水をかけられたみたいに気がついたのでした。

 これは簡単に解ってはいけないことなのだ。

 もちろん、保護と教育を必要としている実在の「少年A」と向き合っている方々は、そんな悠長なことを言ってはいられません。彼と相対する日々は、そのまま人間の闇の部分を見つめる日々でありましょう。そして高山さんも、ジャーナリストとして、逃げることなく「少年A」の実像と対決し、その結果本書が生まれたのです。

 今、頭を抱えながら思うのは、そうした厳しい対決の果実である本書を読んだことで、私たち――事件に大きな衝撃を受けたけれど、直接の当事者でなければ何の責任も担っていない私たちが、事件について、簡単な結論に達してはいけないということです。解ったと言ってはいけないということです。安易に、「少年Aのような部分はどんな人間のなかにもある」とか、「彼は自分に似ている」とか、「彼の気持ちが理解できる」「彼も可哀想な人間じゃないか」などと言って、あっさり整理してはいけないということです。本書のようなきちんとした仕事の結実を通して、事実について知ることができるからこそ、そこに解りやすいストーリーをつけてはいけないということです。

 人間のなかの未知の怖ろしい部分について、知ったかぶりをするのはもうやめよう、恐れ憚ることを思い出そう。それこそが、今いちばん欠けている処方箋なのかもしれない――行間から溢れる高山さんの真摯な情熱に襟を正しながら、何よりも強く考えさせられたことでした。それだけに、とりわけ若い読者の方々が、本書にどんな感想を抱かれるか知りたい。皆さんはどう思われるのでしょうか。

新潮社 波
1998年12月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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