『鳥獣戯画』 磯崎憲一郎著

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鳥獣戯画

『鳥獣戯画』

著者
磯崎 憲一郎 [著]
出版社
講談社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784062208079
発売日
2017/10/31
価格
2,160円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

『鳥獣戯画』 磯崎憲一郎著

[レビュアー] 青山七恵(作家)

 ある青年が都心に向かう電車に乗っている、進行方向に背を向けて見慣れた車窓の景色を眺めていた彼はふと、自分がそこに現れる看板、葱(ねぎ)畑、高圧線の鉄塔まで、景色の全てを現れる順番通りに暗記してしまっていることに気づく。何かが目に入った瞬間には次に現れるものを確かに自分が知っている、その状態を彼は「無性に楽しい」と感じ、淡い喜びの中それらの風景から遠ざかっていく……。これは本書の終盤近くに置かれた語り手「私」の若き日の回想でありながら、不思議とこの小説を読むという経験のさなかにある読者を遥(はる)か彼方(かなた)から描写した一節のようにも映る、印象深い場面だ。

 長い会社員生活を終えた作家の「私」、「私」と「鳥獣戯画(ちょうじゅうぎが)」の所蔵で知られる栂尾山高山寺(とがのおさんこうさんじ)を訪れる女優、鎌倉時代に高山寺を再興した明恵上人(みょうえしょうにん)、そして恋愛と音楽の高揚の中にある青年期の「私」が、それこそ車窓風景のようにいつまでも連綿と続きそうな語りに立ち現れては消えていくこの小説は、読者の安直な予測を置き去りにし続ける。その語りの確信に満ちた脈絡のなさに驚かされながらも、同時になぜだか、読者はとうの昔からその一文一文がそこに置かれることを知っていたかのような奇妙な安堵(あんど)を覚えることにもなる。その安堵は読み進めるほど、小説に流れる途方もなく長い時間に読んでいる自分の時間も既に内包されてしまっているのではないか? という無力感に変容していくのだが、しかし小説に対するこの圧倒的な為(な)す術(すべ)のなさは、無性に楽しく、喜ばしいものだ。

 京都に向かう道中の幼い明恵は、川面のカワセミを見て「カワセミという鳥は夏の空と同じ色をしているな」と思う。その八百年後に北鎌倉の山道を歩く「私」の恋人は「キジバトの声って、ビートルズに似てる……」と呟(つぶや)く。一見何の関連もない二人の感慨が、小説の中では時空を超えて軽やかに結びつき響きあう。その結び目に巻き込まれる幸福は何にも代え難い。

◇いそざき・けんいちろう=1965年千葉県生まれ。『終の住処』で芥川賞、『往古来今』で泉鏡花文学賞。

 講談社 2000円

読売新聞
2017年12月3日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

読売新聞

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