『ドーピングの哲学』 ジャン=ノエル・ミサ、パスカル・ヌーヴェル編

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ドーピングの哲学

『ドーピングの哲学』

著者
ジャン=ノエル・ミサ [編集]/パスカル・ヌーヴェル [編集]/橋本一径 [編集、訳]
出版社
新曜社
ジャンル
芸術・生活/体育・スポーツ
ISBN
9784788515468
発売日
2017/10/31
価格
4,644円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

『ドーピングの哲学』 ジャン=ノエル・ミサ、パスカル・ヌーヴェル編

[レビュアー] 納富信留(ギリシャ哲学研究者・東京大教授)

 問1 ドーピングはスポーツ精神に反する悪だと思いますか?

 問2 スポーツ選手は新記録の更新を目指すべきでしょうか?

 問3 各種トレーニングなど、パフォーマンスの向上にはどんな努力でもすべきでしょうか?

 問4 体力の向上や回復のために、サプリメントやプロテインは摂(と)っても良いと思いますか?

 問5 競技スポーツは健康なものでしょうか?

 問1に「はい」と答える人は多いだろう。だが、2~4の問いにも肯定的に答えた人は、その先に禁止薬物の摂取という選択肢が控えているという構造に気付くはずだ。自己や他人を超えるという強烈なプレッシャーは、歯止めの効かない競争状況を作っており、ドーピングはその一部に過ぎないからである。

 現在WADA(世界反ドーピング機関)が禁止する薬物は、私たちが服用する栄養剤や医薬品とどれほど異なるのか。最新器具やスポーツ医学を駆使した人体の開発は、同様の発想ではないか。遺伝子レベルでの身体への介入が可能になっている現在、健全な「スポーツ精神」というかけ声は欺瞞(ぎまん)に聞こえ、現状ではかえって選手たちの私生活や幸福を踏みにじる面もある。資本が投入された選手だけが勝ち残る、不平等な競争が見えてくる。

 フランスの哲学、スポーツ科学、医学などの専門家12人の徹底した議論は、私たちが当たり前のように悪者扱いしてきたドーピングの禁止が、現状と理論の両面で矛盾に満ちたものであることを示す。東京オリンピック・パラリンピックを前にした私たちが真剣に考えるべき今日的課題がここにある。まずは現状を認識し、タブー視や偏見から脱却した議論が必要である。

 この本を読んで、問5に自信を持って「はい」と言える人はいそうもない。それは、この社会が病んでいるからであろうか。橋本一径訳。

◇Jean‐Noel Missa=ブリュッセル自由大教授◇Pascal Nouvel=ポール・ヴァレリー・モンプリエ第三大教授。

 新曜社 4300円

読売新聞
2017年12月3日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

読売新聞

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