子どもに「英語アタマ」を授けるには? 「本当に賢い子」に育ってほしいのなら、英語学習をさせるべきだという考え方
レビュー
『ほんとうに頭がよくなる 世界最高の子ども英語』
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子どもに「英語アタマ」を授けるには? 「本当に賢い子」に育ってほしいのなら、英語学習をさせるべきだという考え方
[レビュアー] 印南敦史(作家、書評家)
「ほんとうに頭のいい子」を育てたい人にとっては、英語こそが最も確実かつ、最も頼りになる「最強のツール」であるーー。そう断言するのは、『ほんとうに頭がよくなる 世界最高の子ども英語』(斉藤 淳著、ダイヤモンド社)の著者。「J PREP斉藤塾」という中高生向け英語塾の代表であり、元イェール大学助教授という肩書きも持つ人物です。
もはや「いい大学に入れば安心」とか「英語さえできれば大丈夫」などという時代ではなくなっていることは、誰の目にも明らか。そうした表面的な力よりも、今後は、世界のどこでも幸せに生きられる「本当の頭のよさ」を身につけるべきであるはずです。そして、そうした「真っ当な願い」を持つ人にとって、外国語学習の機会は、大人が子どもに授けられる最高のプレゼントだというのです。
「学校のお勉強ができる秀才」ではなく、「本当に賢い子」に育ってほしいのであれば、まずもって英語からはじめてみるべきです。
事実、アカデミックな研究分野でも、「外国語学習の機会が、子どもの地力やIQを高める」ということが知見として蓄積されつつあります。(中略)英語を“正しく”学べば、英語“以外”の力も同時に高まります。これは単に僕個人の経験談などではなく、学術的な裏づけもあることなのです。
(Prologue 「なぜ英語が『本当に賢い子を育てるのか』より」
きょうは英語を身につけるための「常識」や標準的な考え方を示した「Part 1 基本編」中の「Chapter 2 「英語のアタマ」をわが子に授ける」から、いくつかの要点をピックアップしてみたいと思います。
小さい子に「文法ファースト」はNG
子どもに英語を学ばせるとき、最初から文法だけを教える人は少なくありません。特に英語がそれなりにできた親ほど、そんな傾向が強いのだとか。しかし、もし子どもが10歳以下なら、「文法ファースト」の学び方は絶対に避けるべきだと著者。
たしかに、親の世代が高校で「大切なこと」として習ったのは、S(主語)、V(動詞)、O(目的語)、C(補語)からなる5文型だったはず。中学でも、ひととおり簡単な挨拶を学んだら、次はbe動詞の解説へと進んだことでしょう。でも「音のルール」はしっかり押さえるべきだけれども、逆に「構文上のルール」には重きを置きすぎないようにすべきだというのです。
たとえば従来型の受験参考書には「不定詞」の単元があり、まずはそのフレームワーク(名詞的用法、副詞的用法、形容詞的用法)についての解説があります。さらに、「その枠組みを使うことで、例文などの意味がわかる」といったつくりになっているわけです。
しかし、「与えられた英文に対して適切なフレームワークを選べば、その文意が解読できるようになる」というのは、まるでパズルゲームのような発想だということ。「文法を学ぶこと」ではなく、「文法だけ」を抜き出して学ぶ学習モデルに問題があるという考え方です。(60ページより)
「加工食品のような英語」ばかり摂取させない
「既知の原則に基づいて個別の問題を解く」という頭の使い方は、知性を磨いていくうえでも、社会を生きていくうえでも不可欠。とはいえ数学ならともかく、英語科目にこれが入り込んでいることが奇妙だと著者は指摘します。なぜなら、文法知識を組み合わせてじっくりとパズルを解く能力は、文脈に合わせて瞬時に音声で応答する能力とイコールではないから。
現実のコミュニケーションを考えてみれば、目の前にあるのはいつも構成パーツが明確な骨組みではなく、骨と肉が渾然一体となった“かたまり”。なのに受験英語にあるのは、「子どもはこの『かたまり』を消化できない」という先入観。そのため学校英語は、部位別にバラバラに切り分けられて処理を加えた“おなかにやさしい加工食品”だけを与えているようなものだというのです。
現実の英語はつねに「かたまり」でやってきますから、多少わからない要素が含まれていようと、自分で意味を想像しながら一定量のインプットを継続することが欠かせません。そのほうが文法知識の定着や応用力の要請にはプラスですし、かかる時間も少なくて済みます。(64ページより)
自身の過去の英語学習にあてはめてみても、納得できる考え方だといえるのではないでしょうか。(63ページより)
「映像」で学べば、英語の「消化力」は飛躍する
だからこそ著者は、ここで「赤ちゃんの学び方」を思い返してほしいと記しています。いうまでもなく、赤ちゃんは参考書で文法を学んだりはしません。少なくとも言語学習においては、大量の音声を「かたまり」のまま摂取していくわけです。そうしているうち、次第に生の言語を消化できる胃袋が備わっていくということ。
植物の種が開花するまでには、水・日光・土壌の養分が必要。同じように、言語がきれいな花を咲かせるまでには、継続的な言語刺激(文脈と言葉の対応関係)が欠かせないと著者はいいます。
子どもに大量の言語刺激を与えたいのであれば、ベストはネイティブの人にたくさん話しかけてもらうこと。といっても、そのやり方には限界があります。だいいち物心ついた子どもなら、一方的な「英語シャワー」はすぐ嫌になってしまうはず。
では、どうしたら英語を「かたまり」のままインプットできるのでしょうか? この問いについて著者は、「映像」がベストだと答えています。
1. 一定の「状況」を「目」で見ながら、
2. 変化する「音」を「耳」で聴き、
3. 同時に「発声」を「口」で行う
(66ページより)
この3つを再現し、聴覚と視覚を同時に刺激できる動画こそが、「人類最強の語学学習」を可能にするというのです。(65ページより)
文法学習では「状況」が抜け落ちてしまう
言葉の意味はつねに「状況」ないし「文脈」のなかにあるため、本当に使える語学力をつけるためには、「状況のなかの意味」を理解するトレーニングが不可欠。言葉の辞書的な意味や、形式的な文法を学ぶだけでは、言葉の瞬発力は絶対に鍛えられないのだそうです。たとえば、次のような例文と解説があるとします。
Could you open the window?
——CouldはCanの過去形。ここでは過去の意味ではなく湾曲表現の用法なので、『窓を開けていただいてもよろしいでしょうか?』というより丁寧な意味になる
(67ページより)
著者はこの解説に疑問を投げかけています。たとえば映画のワンシーンで、老紳士が窓を指差しながら、主人公に対してものすごい剣幕で「Could you open the window?」と叫んでいるのだとしたら?
言葉の表現は同じでも、「状況のなかの意味」はまったく異なるもの。むしろcouldを使うことで慇懃無礼な感じや命令的な態度が一層強調されるというのです。しかも、ちょっと嫌味なニュアンスを込めたこのようなcouldの使い方は、決して珍しいものではないのだとか。
状況から離れて形式的な文法だけを学んでも、「本来の意味」は抜け落ちてしまうということ。だとすれば、老紳士がそうやって叫んでいる様子を映像で見ながら学ぶほうが、はるかに効果的だというわけです。(67ページより)
子どもの単語は「ピクチャーディクショナリー」が最強
子どもが母語を学習する場合、状況と単語の対応付けは、日々の生活空間のなかでランダムに進んでいくもの。つまり単語は、必要なもの順に自然と学習されていくということです。
一方、外国語の習得となると、身近にネイティブスピーカーがいたりしない限り、なかなか母語のようなわけにはいかないでしょう。必要になるのは、状況と単語を適切に対応づけて、しかもそれを何度も反復できるようなツールです。
そこで著者が勧めているのが、ピクチャーディクショナリー。大きな絵のなかにさまざまな事物が書き込まれており、それぞれに英単語が印字されているものなどは、子どもの単語学習にはうってつけだといいます。
一つの景色のなかで、実際のモノを目で見ながら、それの名前を声に出すーー。これが最も原始的なボキャブラリーの身につけ方です。
親子でイラストを指差しながら単語を発音してもいいですし、「It’s a cat. It isn’t a cat. It’s a dog.」のように簡単なセンテンスを口に出す練習をしてもいいでしょう。いずれにしろ、最初からすらすらと読んだり、言えたりする必要はありません。(70ページより)
大切なのは、寛容になることだと著者はいいます。文法やスペルの小さな間違いに神経質になるのではなく、「自分の英語が通じた!」という体験をたくさん積ませることが大切だというわけです。(70ページより)
本書に書かれた「従来の英語学習とは対照的な考え方」を目の当たりにすると、英語が「本当に頭のいい子」を育てるために有効だという主張にも納得できるはず。広い視野を持って子どもを育てるためにも、読んでおく価値はありそうです。