『兼好法師』 小川剛生著

レビュー

4
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兼好法師

『兼好法師』

著者
小川 剛生 [著]
出版社
中央公論新社
ジャンル
歴史・地理/日本歴史
ISBN
9784121024633
発売日
2017/11/21
価格
886円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

『兼好法師』 小川剛生著

[レビュアー] 清水克行(日本史学者・明治大教授)

吉田兼好でなかった?

 俗世間から隠遁(いんとん)し、名随筆『徒然草』を著して、文学史にその名を残した吉田兼好。彼の名と人物像はもはや国民的常識に属することと言えるだろう。ところが、その「吉田兼好」は存在しなかった、という衝撃的な真実を述べたのが、本書である。すでにその発見は数年前に研究論文として発表され、学界に大きな衝撃を与えていたが、今回、その著者が初めて一般向けの新書で、自身の新説を再論してくれた。

 誤解のないように言っておくと、『徒然草』を著した兼好法師なる人物はたしかに実在した。しかし、室町時代の宗教家・吉田兼倶(かねとも)は自身の家系を権威づけるため、こともあろうに系図を捏造(ねつぞう)し、兼好法師を先祖「吉田兼好」に仕立てあげたのだ。著者は該博な知識を武器に、「吉田兼好」の官職歴が当時の宮廷社会の常識に照らしてありえないものであることを論証し、この兼倶の巧妙な詐術を500年ぶりに見破る。

 では、真実の兼好法師はいかなる人物だったのか? 本書の本領発揮はむしろここから。著者は、限られた史料のなかから鎌倉末~南北朝期の文化空間を再現し、そのなかに兼好法師を位置づけることで、現段階で最も信頼できる実像を明らかにする。そこで立ち現れた新たな兼好法師像は、これまでの隠者の風貌(ふうぼう)とは趣きの異なる、意外に俗っぽい人間的な姿をしている。

 著者の研究により、古文や歴史の教科書から「吉田兼好」の名前が消えるのも、おそらく、そう遠くないのではないか。文学作品は読者のものであり、作者の意図は必ずしも重要ではなく、まして生涯・境遇などは顧慮しなくてよいとする立場もある。しかし、解釈の前提となる最低限の知識が根拠を欠いたまま、作品論が独り歩きして良いとは思えない。この著者の意見に耳の痛い国文学研究者は少なくないだろう。「よく知らぬよしして、さりながら、つまづまあはせて語る虚言は、恐しきことなり」(『徒然草』73段)。

 ◇おがわ・たけお=1971年東京都生まれ。慶応大教授。著書に『二条良基研究』(角川源義賞)、『足利義満』など。

 中公新書 820円

読売新聞
2017年12月10日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

読売新聞

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