多かれ少なかれ、みんな「コミュ障」。大切なのは「いまの自分」を受け入れること

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多かれ少なかれ、みんな「コミュ障」。大切なのは「いまの自分」を受け入れること

[レビュアー] 印南敦史(作家、書評家)

僕は2012年の8月以来、5年数ヵ月にわたりライフハッカー[日本版]で書評を書き続けており、その間には何冊かの著作も出してきました。そして、このたびまた新刊を出しましたので、手前味噌ながら今回はそちらをご紹介させていただきたいと思います。『人と会っても疲れない コミュ障のための聴き方・話し方』(印南敦史著、日本実業出版社)がそれ。

「コミュ障」とはいうまでもなく、「コミュニケーションが苦手な人」をさすスラングです。たとえば誰かについて、「あの人はコミュ障だからね」などと話題にすることもあるでしょうし、それ以前に、自分自身が「コミュ障」だと自覚している方もいらっしゃるかもしれません。

ただ、コミュ障であろうがなかろうが、社会人である以上は人とのコミュニケーションを避けることはできません。だからこそ、なかなかコミュ障を克服できずに悩んでいる方がいたとしても、まったくおかしいことではないと思います。そこで、自身の経験を軸として、本書では僕なりの「コミュ障脱出術」をお話ししているのです。

コミュニケーションスキルを身につけるための書籍は、これまでにもたくさん出されています。そして、それぞれに主張があり、それぞれに価値があるとも思います。ただ、そんななかにあって、本書のアプローチはちょっと異質かもしれません。なぜなら、「変わること」を強いていないから。多くのコミュニケーション本は「変わること」をよしとしていますが、「変わる必要はない」という考え方が根底にあるのです。

それはいいかえれば、本来なら生き方も考え方も人それぞれ違って当然だということ。コミュニケーション能力の差も個性であり、「自分はコミュ障だから……」と卑下すること自体がナンセンスなのだという考え方です。でも、だとすればコミュ障克服のためにどうしたらいいのでしょうか?

残念ながらすぐに効く特効薬があるわけではありません。

しかし、手段は確実にあって、それこそがコミュ障脱却を目的として書かれた本書のテーマでもあります。

そのテーマとは、「受け入れる」こと。「コミュ障がダメだ」と思ってしまうからつらいのであって、いまコミュ障である自分を否定せずに受け入れてしまえばいいということです。そしてそこから、“できそうなこと”をひとつひとつ実行していく。そういうことを繰り返していくうちに、コミュ障を脱却できるはずなのです。(「はじめに」より)

まずすべきは、考え方を少しだけ変えてみること。そこで、第1章「コミュ障でなにが悪い?」から基本的な考え方をピックアップしてみたいと思います。

多かれ少なかれ、みんなコミュ障

「私、コミュ障だから」と、自ら「コミュ障宣言」する人に会ったことはないでしょうか? そんな宣言をするなんて、よくよく考えるとおかしな話ではあるのですが、気持ちはわからないでもありません。「コミュ障だから」と先手を打っておけば、なんとなく安心できちゃうから。

ただし、それが自分にとっての一時的な慰めでしかないのも事実。それに他人からすれば、目の前の相手がコミュ障だろうがなんだろうが、そんなことはどうでもいいことでもあります。大切なのは、そのコミュニケーションからなにかを得られるか否か、それだけだからです。

極論をいえば、相手が話し下手だったとしても、そこに結果がついてくればなんの問題もないのです。だとすれば、コミュ障で悩む必要もありません。(中略)それに、多かれ少なかれ、誰にでも多少はコミュ障的な側面があって当然です。いってみればコミュ障であるかどうかは、誰もが感じる「よくある話」でしかないのです。(16ページより)

もちろん円滑に話せるに越したことはありませんが、現実的にはコミュニケーション法=話し方に満足できている人ばかりではないはず。みんなコミュニケーションに対して、いくらかの自信のなさ=コンプレックスを持っているものではないかということです。

つまり、「自分はコミュ障だ」「コミュ障かもしれない」と感じること自体は、いたって普通のこと。そして大切なのは、「コミュ障な自分」をまずは認めること。現状の自分をなんとかしたいのであれば、そこがスタートラインになるからです。(14ページより)

コミュ障の初期症状はふんわりとした不安感

これは経験に基づいた個人的な感覚ですが、コミュ障の初期症状は「ふんわりとした不安感」ではないかと思います。

1「コミュニケーションがうまくとれない」

     ↓

2「このままじゃいけない。なんとかしなくちゃ」

     ↓

3「でも、どうしたらいい?」

(21ページより)

1から3まで進んだら、また無意識のうちに1にもどってしまったりするもの。だからぐるぐると、同じ苦悩状態を繰り返してしまう。それが「ふんわりとした不安」に囚われた状態です。しかし、この段階はまだ楽で、問題はもっと症状が悪化したときではないでしょうか?

コミュ障をこじらせると、「当たり前のことができない自分は、ダメな人間だ」というように、無意識のうちに、どんどん自分を追い込んでいくことになってしまうわけです。しかし「コミュ障で当たり前」なのですから、これは間違い。どんどんネガティブな方向に進んでいき、ドツボにはまるだけです。

相手になにかを伝えなければならないときにも、過度な自信喪失状態に陥ってしまうと、焦りだけが加速し、「きちんと伝える」という本来の目的から遠ざかってしまうことになるでしょう。しかも問題は、そうなりやすい人ほど、「伝わらない」ことに恐怖心を抱いてしまいがちだということ。

それは、相手の話を聞く場合でも同じです。コミュ障の人には真面目な完璧主義の人が多いので、話を聞く際にも「ひとことも漏らさず、きちんと聞かなきゃ。理解しなきゃ」と気負いすぎるきらいがあります。だから逆に、「聞けない状態」へと自分を追い込んでいってしまう。しかし現実的には、聞き漏らしなんて誰にでもあるもの。そう考えたほうが、コミュニケーションは円滑に進むということです。なお、この考え方には根拠があります。

多くの場合は、自分が思っているほど相手はこちらを悪く思ってはいないものだからです。もっといってしまえば、それほどこちらに興味を持っていないものでもあります。(24ページより)

そう考えれば、人と接することをそれほど苦痛に感じなくなるのではないでしょうか?(20ページより)

「コミュ障だから仕方ない」はただの言い訳

「自分はコミュ障だ」と考えると、思考がネガティブな方向に進んでしまいがちでもあります。しかし別の角度から捉えると、重要なことに気づくはずです。「コミュ障である」とは、「コミュ障から抜け出せる可能性」を持っているということ。だから、コミュ障で当たり前。悩んで当たり前なのです。

コミュ障で当たり前なのだとしたら、「自分はコミュ障なんだから、人と上手く話せなくても仕方がない」という考え方は、ただの言い訳に過ぎない。その言い訳を用いることで、なにかよい効果が生まれるわけではないのです。(28ページより)

ネガティブになることが目的ではないのですから、「そこからどう進み、どう克服していけばいいのか」を考えるべきだということ。しかも修行のように眉間にしわを寄せて取り組むのではなく、コミュ障を抜け出すまでのプロセスを、自分のことを観察しながら楽しんでしまえばいいわけです。(25ページより)

コンプレックスは可能性と比例する

いうまでもなく、コミュ障の根幹をなすもののひとつが「コンプレックス(劣等感)」です。コミュニケーションできないというコンプレックスがあるからこそ、コミュ障をこじらせてしまうわけです。しかし、それを認めたうえで、本書ではひとつの問題提起をしています。それは、「コンプレックスを持つって、そんなに悪いのかな?」ということ。

たしかにコンプレックスがあれば、いろいろ面倒なことが起きたりもするでしょう。

単純に考えれば、そんなものはないに越したことはないのです。とはいえ残念ながら、「コンプレックスが消えて、すべてがスッキリおさまった」などということは皆無に等しいはず。だとしたら、どうすればいいのでしょうか?

「コンプレックスと共存する」、これに尽きます。コンプレックスが「あって当然」のものなのであれば、それをなくそうとすればするほど無理が生じることになります。でも、「あって当然」なのですから、「そこにあること」を認めてしまえばいいのです。

コンプレックスは、自分について回る影のようなもの。光を遮断しない限り影はなくなりませんが、光を遮断されたら、そこから先は真っ暗闇です。同じことで、もしコンプレックスが消え去ったら、そこからどう進んでいいかわからなくなるかもしれないわけです。でもコンプレックスがあるとしたら、そこには乗り越えるべきハードルがあるということになります。

もちろんハードルを超えるのは面倒なことですが、ハードルがそこにあることが大切であるともいえます。適度なコンプレックスであれば、そこにはプラスに作用する可能性が生まれるものだから。ハードルをひとつひとつコツコツと乗り越えていけば、少しずつでも道は開けていくということです。

「自分はダメだ」と落ち込むと、それをあざ笑うかのようにどんどん調子に乗ってくるのがコンプレックスです。だからこちらはさらに追い詰められてしまうのですが、だとしたら、相手にしなければいいという考え方です。

まず、コンプレックスが「すぐそこにいる」ことを認める。認めたうえで、その存在を意識しすぎない。その段階まで進むことができれば、コンプレックスはプラス要素へと変化していくもの。過度に反応するのではなく、「いつもそこにいるだけの存在」として受け止めれば、コンプレックスは味方になってくれるということ。そして、やがてそれが「コミュ障脱却」にもつながっていくということ。

できない = できるようになる可能性がある。

(43ページより)

本書を通じ、僕が強く訴えたいことのひとつが、この考え方です。「コンプレックスを拭えない」は「拭えるようになる可能性がある」ということであり、そこまで到達できれば、コミュ障を脱却することもできる。同じように、「コミュニケーションがうまくいかない」ということは、「うまくいくようになれる(コミュ障を脱却できる)可能性がある」ということであるわけです。(39ページより)

こうした考え方を軸として、以後の章では「いまのままの自分」を活かしながらコミュ障を克服する方法を、僕なりの視点でご紹介しています。なお、ここではその名を明かせませんが、コミュ障を自認する某ロックミュージシャンと、コミュ障的な側面を拭えずにいる僕との不思議な関係などについても書いています。

コミュ障な自分をまずは認め、少しずつ克服しながら、新しい年をよりよいものにしていただくためにも、ぜひ読んでいただきたいと思います。

Photo: 印南敦史

メディアジーン lifehacker
2017年12月25日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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