スタイリッシュな短編集には作品の奥に信用の源がある

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ドレス = Dress

『ドレス = Dress』

著者
藤野, 可織
出版社
河出書房新社
ISBN
9784309026244
価格
1,650円(税込)

書籍情報:openBD

スタイリッシュな短編集には作品の奥に信用の源がある

[レビュアー] 都甲幸治(翻訳家・早稲田大学教授)

 日本で女性であるとはどういうことか。この短編集を読むとよく分かる。たとえば、家を極限まで整理整頓することが望ましい。ゆえに「愛犬」に出てくる臼井さんの家には白いものしかない。だが主人公の女の子は息苦しさしか感じない。白という字が縦に割れて臼となるように、この家の完璧な秩序に破れ目を探す。死んだプリンであるババロアの側面をブルーベリーのソースで汚し、りんごジュースをおしっこに見立てる。皮膚炎で血や肉片を飛び散らせる臼井家の飼い犬を愛する。彼女の好みは、身体から出てどろどろと粘つく液体だ。なぜならそれこそが生命の実態だからだ。

 あるいは、女性は相手に愛と共感を抱くものだとされる。だから「真夏の一日」の主人公は、ギャラリーで急に現れた幼児に反発する。「男の子の姿と態度は、女である真夏には彼をかわいがる義務があると宣告していた。真夏は敢然とそれを拒否した」。そして「ドレス」の主人公は、いつも可愛くあれ、という彼氏の要求を拒絶して、醜いイヤリングを外さない。なぜ彼女たちはこうした女性像と闘い続けるのか。他人の希望を満たすだけの人間には欲望も自由もないからだ。だからこそ、永遠の女児である主人公たちは暴れ回る。

 彼女たちは力を愛する。男より太い二の腕を持つ大女のアクセサリー作家に憧れ、ついには甲冑で武装するのだ。けれども心の中には、常にさびしさがある。「一体ぼっちでいるドローンたち」にたまらない孤独を感じてしまう。ならば連帯の可能性はないのか。「私はさみしかった」の女子高生は電車の中で、痴漢の被害に遭い続けている友人と手を握り合う。自分たちを性的な目で見るだけの世界で、二人は互いの生存を確かめ合うのだ。

 海外の映画や文学に強い影響を受けて書かれた短編はどれもスタイリッシュだ。だがその奥には、若い女性たちの呻きがある。それゆえ、藤野可織の作品は信用できる。

新潮社 週刊新潮
2017年12月21日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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