【文庫双六】動物文学の第一人者が犬を通して描いた自叙伝――梯久美子

レビュー

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猛犬忠犬ただの犬

『猛犬忠犬ただの犬』

著者
戸川 幸夫 [著]
出版社
講談社
ISBN
9784062901840
価格
1,728円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

動物文学の第一人者が犬を通して描いた自叙伝

[レビュアー] 梯久美子(ノンフィクション作家)

【前回の文庫双六】「同居」の難しさをユーモラスに描く――川本三郎
https://www.bookbang.jp/review/article/543932

 ***

 梅崎春生の「ボロ家の春秋」は昭和29年下半期の直木賞を受けている。このとき「高安犬(こうやすいぬ)物語」で同時受賞したのが、戸川幸夫だった。

 戸川は動物文学の第一人者で、毎日新聞記者時代に、イリオモテヤマネコの毛皮と頭骨を手に入れ、発見に大きく寄与したことでも知られている。

 さまざまな動物を題材にしているが、原点はやはり犬だったようだ。『猛犬忠犬ただの犬』は、犬を通して描いた自叙伝ともいうべき作品で、昭和48年に単行本として刊行されたときには「わが愛犬放浪記」という副題がついていた。

 戸川は生後間もなく親戚の家の養子になったため母乳を与えられることなく、重湯や葛湯、牛乳などで育った。そのせいか腸が弱く、猿の仔のように痩せていて何度も死にかけたが、犬を見せると笑ったという。

 本書では、ともに育ち、面倒を見、最期をみとったさまざまな犬たちとの思い出が綴られるが、すれ違っただけの犬とのエピソードも面白い。

 たとえば高等学校の受験を控えていたときに遭遇した忠犬ハチ公の話。有名になる前のハチ公は、見た目はさえない老犬で、乗降客に邪魔にされ、蹴飛ばされたりもしていた。

 あるとき誰のいたずらか、目のまわりに墨でぐるりと輪を書かれていたことがあった。通行人が皆あざけって笑う中、戸川は一人の老女が駆け寄り、水に濡らしたハンカチで、孫の汚れた顔を拭くように、やさしくぬぐってやるのを見る。

 彼は駅の便所で自分のハンカチを濡らして老女に手渡すのだが、一足先に同じことをした女学生がいた。戸川は彼女を好きになる。だが、ハチ公のおかげで生まれた恋はやがて、あっけない幕切れを迎える――。

 本書で描かれているのは20代までの日々で、少年から青年への成長物語としても読むことができる。戦前の東京の雰囲気が活写されていて、特に犬好きではない人にもおすすめである。

新潮社 週刊新潮
2017年12月21日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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