晦渋と思しき原文を現代の実感に置き換えた訳文もみごと
[レビュアー] 鴻巣友季子(翻訳家、エッセイスト)
「ロビンソン・クルーソー」の著者による、ペストを語り伝える書である。面白すぎて、ぶっ飛んだ。
ペストといえば、17世紀のロンドン疫禍をリアルタイムで記録したサミュエル・ピープスの日記や、20世紀のカミュの小説「ペスト」などがある。デフォーの本作は架空の「一市民」を語り手に立てており、同時代人のルポルタージュではないが、かといって「小説」でもない。虚構的な脚色や作りこみは期待すべからず。多くの資料に基づく、物語性の高い「採話」または「語り直し」と言うべきだろうか。
記述は淡々としており、そこがこの疫病の恐怖をより鮮烈に鬱々と伝える。あるとき、ロンドンの町はずれで幾人かの死者が出る。翌週も出る。しかしそのうちに収まる。それを繰り返すうち、急激に死者が増える、ここからはパンデミックが止まらない。ペストとはそういう動きをするものらしい。兆候が現れると、人々は恐慌をきたし、逃げ惑い、さすらい、狂気に陥った。
腰に下着をつけただけの裸の男が黙示録を叫(おら)びながら走り回る。「おばあさんの夢占い」なる予見がさらなる混乱を生む。「効果抜群!」の栄養ドリンクとか、「本物はウチだけ! ペスト酒」などのインチキ商品がごまんと売られる。落とし物の財布を拾うのも、感染が心配だからひと騒ぎだ。財布に火薬を振りかけ、そこから2ヤードも導火線を引いて火をつけ……。
ペスト禍から半世紀余の時を経た冷静な考察が人々の姿を、ときに滑稽に映しだす。訳者は、この一見非効率的なデフォーの書き方を卓抜に評する。ある話題が途中で放りだされ、意外なところで再現し、読者を取り込んでいくさまは、ペストそのものだと言うのだ。本書の「真の語り手はペスト」だと喝破。さらに、ペスト禍と日本の原発事故を重ね合わせる。
ペスト的文体でペストを語る稀代の書。晦渋と思しき原文を現代の実感に置き換えた訳文もみごとだ。