なんというシュールさ! 「原民喜」童話集

レビュー

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べたつかず、明るく澄み渡り しかも愉快な味がする

[レビュアー] 大竹昭子(作家)

『原民喜童話集/別巻「毬」』原民喜[著]イニュニック
『原民喜童話集/別巻「毬」』原民喜[著]イニュニック

 原民喜といえば『夏の花』である。原爆投下の広島と被爆者の姿を透徹した筆致で描いたこの作品は、教科書などにも載って有名だが、原の他の作品を挙げてみよ、と言われると言葉に詰まるのではないか。

 私もそうだったので、童話も書いたのかと思って本書を手にとったのだが、最初の「山へ登った毬」を読んでびっくり仰天した。短いけれど、ものすごくぶっ飛んでいる。

 山の絵が描かれている美しい毬を妹がもっている。学校の山登りにその毬をもっていき、帰ってきたら毬がなくなっていた。

「毬は、山へ連れて行かれたので急に元気になって勝手にはね廻(まわ)って、ころころ、転んで、そのまま、『この山は僕の絵と似てるな』と云(い)って、ねころんでしまったのでしょうか」

 これで終(お)しまいなのだ。なんというシュールさ! 身心が一気に解き放たれ、私もその山で一緒に陽を浴びているような気分になり、思わず、もう帰んなくていいや、とつぶやいたのだった。

『夏の花』は生々しい光景を描きながらも、澄明な光が感じられるところが独特だが、それは原民喜が詩を書く人だからだろう。本書もそうで、選び抜かれた言葉はべたつかず、発泡入りの飲み物のように明るく澄み渡り、しかも愉快な味がする。

 妻は若くして病没し、その翌年に自らが被爆、四十五歳で鉄道自殺する、と民喜の人生は少しも愉快なものではなかったのに、作品に生の痛ましさを重ねるのはむずかしい。悲壮感が少しも滲んでいない。重い出来事を、重く書くことの出来ない人だったのだろう。

 詩を含む八編の童話集と民喜に寄せた数人のエッセイ・想画集「毬」が函に収められ、清楚で寡黙な佇まいが民喜そのものだ。本棚にこういう一冊があるだけで心のなかが広くなるようだ。今の季節、秘密の暗号のようにだれかにそっと贈ってみたい。これ、いいでしょ? と。

新潮社 週刊新潮
2017年12月28日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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