作家の妻がつづる愛と喪失

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大西巨人と六十五年

『大西巨人と六十五年』

著者
大西美智子 [著]
出版社
光文社
ジャンル
文学/日本文学、評論、随筆、その他
ISBN
9784334911966
発売日
2017/12/13
価格
3,080円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

作家の妻がつづる愛と喪失

[レビュアー] 佐久間文子(文芸ジャーナリスト)

 作家大西巨人は、戦後文学史にそびえ立つ大長篇『神聖喜劇』を完成させるまでに二十五年もの歳月を費やした。二〇一四年に大西が九十七歳で亡くなるまでずっと連れ添った夫人が、ともに過ごした長い時間を愛情を込めて振り返る。

 出会いのきっかけは、一枚のポスターから。戦後まもない福岡で、著者はある家の戸口に貼られたポスターの雑誌「文化展望」の文字に目を留める。長兄が喜ぶだろうと買いに訪れたその家が大西宅だった。

 出会いから上京するまで、上京して新日本文学会の会館や中野重治宅に住み込み暮らしたこと、出産の喜びと、子供の難病(血友病)に悩み、治療費の工面に追われた日々のことがつづられる。

「おれにしか書けない小説を必ず書く」と、若き日の大西は妻に語った。職につかず、いつ完成するかわからない小説を書き続ける夫の言葉を信じて著者は喜びも苦しみもともにしてきた。友人知人の助けもあったし、連載の途中からは光文社が生活費を援助したとのことだが、並大抵のことではなかっただろう。

「わからないことがあったら、辞書を引きなさい」「何事か生じた時に、その人の真価はわかる」「事実はそのまま伝えなくてはいけないよ」などなど、折々に大西がのこした言葉が各節の題に引かれている。著者の人生の指針にもなったこれらは、原理原則をゆるがせにしない大西の人となりを浮き彫りにする。

 やがて『神聖喜劇』は完成、谷崎賞の候補になるが、大西は「今日食う米がなくても、目の前に千万の金が積まれようと、断るものは断る」という信条を貫き辞退。このことを、「生活保護費がもらえなくなるからだ、障害を持った子供を生むべきではない」などと書いたある大学教授に対して怒ったときは、「おれが生きている限り、機会ある毎に人非人の面皮を剥いでやる」と激しい言葉で憤ったこともあった。

『神聖喜劇』の主人公東堂太郎同様、明晰で、すさまじい記憶の人だった大西にも老いは忍び寄る。「あの大西巨人が大西巨人でなくなったら、私がこうしてあげますから」と首に両手を回す著者に大西が「うん」とうなずく場面では、胸を衝かれた。

 最終章では、徐々に不自由になっていく大西の言葉の代わりに、著者の言葉が節題に引かれる。「巨人大好き、世界で一番好き」――入院中、帰り際の妻の言葉に大西は「おれもだ」と答える。この年代の男性としては例外的に、大西が率直に愛情表現できる人だというのは意外でもあり、作家が古今東西の詩歌を愛していたことを考えればなるほどとも思わされた。深い愛情と喪失の痛みが込められた本書には、相聞歌の響きがある。

新潮社 新潮45
2018年1月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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