『神と革命』
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コミュニズムと宗教 意想外の関わり
[レビュアー] 稲垣真澄(評論家)
神学者ティリッヒのいう「疑似宗教」には民族主義、ナチズム、ファシズム、科学主義、経済主義などが含まれる。もちろんコミュニズム(共産主義)も。「神が死んだ」状態、価値の喪失、権威の崩壊(ニヒリズム)に人間は耐えられず、そんな場面に陥ると、有限で世俗的なものを神と祭り上げ、自ら進んで拝跪するというのだ。戦争と革命の時代たる二十世紀は価値や秩序の液状化が著しく、人々は多くの疑似宗教に逃れた。
本書を読むとしかし、無神論のはずのコミュニズム(少なくともロシアの)は疑似宗教どころか、神を有する真の宗教に直結していたのではないか、と感じさえする。共産党が権力奪取した百年前のロシア革命に、古儀式派と呼ばれるロシア正教の異端の信者たちは、福音書を掲げ、大挙参加したというのだから。
そればかりか古儀式派は、革命後の国家運営にもルイコフ(ソ連二代首相)、モロトフ(三代)、グロムイコ……といった要路の人物を多数送り続け、その流れはエリツィン、さらには「祖父がレーニンのコックだった」という現在のプーチンにまで至っているようだ。レーニンが晩年を過ごしたのは、古儀式派大富豪が所有するモスクワ近郊の別邸で、その料理人を古儀式派の村民が務めた可能性は確かに小さくない。
それにしても古儀式派とは聞き慣れぬ名前だが、いったい何か。その古儀式派がどうしてコミュニズムと結びつくのか。まったく初めて知ることばかりで、ページをめくるごとに驚かされる。
古儀式派とは十七世紀、イスラムのオスマン帝国に備え、ウクライナのカトリックと協同すべく、ニーコン総主教が主導した正教の儀式改革に、断固反対した伝統派の信者たちを指す。彼らは十字を二指で切るなど古い典礼を堅持し、神とロシアの大地を愛し、勤労と友情を尊ぶ原始共産主義的心情を大切にした。彼らの勤勉精神が繊維業などロシアの近代産業を生み出した点は見逃せない。
しかも十九世紀末に信者数二千万人の大勢力。レーニンらはその取り込みに細心の注意を払ったはずだ。たとえば「ソビエト」という会議。もともとは教会を持てなかった古儀式派が、代わりに持った派内集会「ソーボル」が原型で、その後日露戦争時の一九〇五年、同派の故地イワノボ・ボズネセンスク市で、兵士への信仰差別に抗議して起こした民主化革命で初めて公的にも使われ、それを十月革命でボリシェビキが取り入れた。
共産党機関紙「プラウダ」の創刊も同派富豪の寄付によるもので、「真実」という名前がまず宗教的。ともかく本書ではコミュニズムと宗教との意想外の関わりに驚くが、件のイワノボ市は総司令官初め関東軍の高級将校らが抑留された場所として、日本とも無縁ではない。