著者の半生の記憶と共に同時代史を

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記憶の海辺

『記憶の海辺』

著者
池内紀 [著]
出版社
青土社
ジャンル
文学/日本文学、評論、随筆、その他
ISBN
9784791770236
発売日
2017/12/01
価格
2,592円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

著者の半生の記憶と共に同時代史を

[レビュアー] 佐久間文子(文芸ジャーナリスト)

 紀さんや紀子さんに会うと、つい生年を確かめてしまう。この本にも出てくるが、昭和十五年、「紀元二千六百年」生まれで、名前に「紀」という字のつく人はとても多い。ドイツ文学者でエッセイストの著者もそのひとりで、生まれてすぐ戦争が始まり、ものごころつくころには終わっていた。

 価値観も、生きる態度も、劇的な変化を経験した人たちだ。高度経済成長からバブル経済、その後の長引く不況。国外に目を向ければ、戦後の冷戦から東西融和、グローバル化と複雑になる異文化間の対立。時代の大波を正面からかぶりながら、自分という舟が何を発見し、何を考えて、進むべき航路を決めていったのか。本書の、個人の「記憶の海辺」をたどる作業は、同時に、副題の「一つの同時代史」にもなっている。

「辺境」「ノラクラ者」「歩く」の三つがキーワードになる。著者には、中心ではない周縁、とりわけ「辺境」にひかれる性向がある。ドイツ文学の中でも興味をひかれるのはもっぱらユダヤ系の作家で、モラヴィア出身のカール・クラウスや、ブルガリア国境の街に生まれたエリアス・カネッティだったりする。

 ドイツ語には「神様のノラクラ者」という言い方があるそうで、まだ人生の方針が決まらない、モラトリアム人間をそう呼ぶ。魅力あふれる「ノラクラ者」をこの著者は見逃さず、行く先々で捕まえる。自身にもその気配があり、東大教授になった時も、自分で期限を10年と区切り、55歳で辞めてしまう。

 乗り物も嫌いではないが、何より歩くことが好きで、学生時代も、留学中も、教員時代も、辞めた後も、とにかくよく歩いている。歩く人だから土地の記憶をいつでも呼び戻すことができ、常に身軽でいられるのだろう。

 いずれ大学を辞めるつもりだったから、誘いは断らず、原稿依頼は少しムリなものでも引き受けた。自由であるための努力は惜しまないのである。

 そうした流れの中に、映画監督レニ・リーフェンシュタールと作家ギュンター・グラスへのインタビューがあった。どちらもナチスへの協力を指弾されたことのある人だが、著者はマスメディアのようには単純化せず、見たままをとらえた。個人の記憶として、インタビュー後のレニを背負ったときの「二〇世紀をせおっているよう」な重さや、立ったままタイプを打つグラスの仕事ぶり、酒の飲み方などが書き留められて印象深い。

 各章とも、短い同時代史の後に回想が始まる。挿絵の選択も凝っていて、著者自身のイラストも入っている。小さな活字の挿絵説明に、「週刊朝日」の懸賞漫画に応募したことなどがさりげなく書かれていて読み落とせない。

新潮社 新潮45
2018年2月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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