『蒼(あお)き山嶺(さんれい)』刊行記念インタビュー 馳星周

インタビュー

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蒼き山嶺

『蒼き山嶺』

著者
馳星周 [著]
出版社
光文社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784334911997
発売日
2018/01/16
価格
1,620円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

『蒼(あお)き山嶺(さんれい)』刊行記念インタビュー 馳星周

[文] 杉江松恋(書評家)

初めて挑んだ本格派の山岳冒険小説――

とはいえ、読み始めればページをめくる手が止められない、

馳星周らしさあふれる新作『蒼き山嶺』。

二十二年間夜の住人だった著者が、

なぜ山を小説の舞台に選んだのか? その誕生の秘密を語る。

取材・文 杉江松恋

 ***


馳星周さん

――『蒼き山嶺』、面白かったです。最後の一ページまで一気読みしたんですよ。今回なぜ山岳小説を書かれたのかを最初にお聞きしていいでしょうか。

馳 自分が登るようになったからだね。一昨年の『神奈備(かむなび)』(集英社)で初めて山を書いたんだけど、やっぱり自分の知っている世界は小説で表現してみたくなるんですよ。

――軽井沢に転居された後、以前から山歩きはされていたんですか?

馳 してないですよ。十八歳で東京に出てきてから四十歳で向こうに行くまで、二十二年間ずっと夜の住人だったわけだから、いきなりアウトドア派にはならない。でも、今ぐらいの季節(十二月半ば)に浅間山(あさまやま)が雪で白くなって、ちょうど七時頃に朝日を浴びて真っ赤になるんだよ。それが綺麗でさ。「下から見てこんだけ綺麗なんだから上から見たらどうなんだろう」と思っちゃったんだよね。それが運の尽き。で、たまたま軽井沢在住の先輩で、唯川恵さんの旦那さんが山男だったと。

――それで登山を始めることになったわけですね。

馳 やってみようかなって思ったのは良いんだけど、最初は大変でしたよ。それが二〇一〇年、もう七年前のことなのか。軽井沢に標高差二五〇メートルぐらいの離山(はなれやま)っていう低山があるんだけど、そこを登るだけでもゲロ吐きそうになるし、足は攣(つ)りそうになるし、翌日筋肉痛で立てないし。でも、まずは浅間山に登れるようになりたいと考えたんです。普通の二五〇〇メートルクラスの山だと途中に山小屋があったりして一泊二日で行けるんだけど、浅間山は活火山なので緊急事態以外は絶対に日帰りしなきゃいけない。だから一日で一一〇〇メートル登って同じだけ下りてこなきゃいけない。これがしんどくてね(笑)。最初は八合目でギブアップだった。で、浅間山まで登れるようになったら、今度は八ヶ岳(やつがたけ)とか北アルプスとかにも登れるようになりたくなった。それでずっと続けているわけ。

――山には山だけの特殊な文化がありますよね。ご自分が入られてみて、外から見るのと印象は変わりましたか。

馳 変わったね。一人で北アルプスなんて行けるほどの体力も技術もないから、山の師匠だとか、編集者達とかで登りに行くんですよ。そんな大変な山には行ってないんだけど、「なんかあった時には助け合わなきゃ生きて帰ってこれない」みたいなこともすれすれのところで経験して、こういうことか、と思いましたね。たとえば登山のルールで、すれ違う人とは必ず声を掛け合うことになってるでしょう。「こんにちは」とか「おはようございます」とか。東京とかでそんなこと絶対やらないよ(笑)。

――しないですよ(笑)。

馳 でも、山じゃやんなきゃいけない。だって俺が滑落とかしたら、その辺の人に助けてもらわないといけないわけだから。とりあえずあいさつだけするということも重要なんだなということがわかったんです。そういう、下界にはないことが普通にできたりするのが、山独自の文化というかルールなんだなと思いますね。

――登山を通じて結ばれた仲間の小説を書くというのは、その辺が原点なんですか。

馳 山で命を預けあって死のギリギリまでいった絆があれば下界でのことはどうでもよくなるんじゃないか、というのがこの話を思いついたそもそものきっかけですね。

――大学の山岳部で出会った三人、得丸(とくまる)、池谷(いけたに)、若林(わかばやし)の人生が彼らなりの時間の変遷を経た後で再び交錯するというのが物語の根幹です。そこに活劇小説の要素が絡みますが、これは後から出てきたものですか。

馳 いや、最初から思ってた。舞台になるのは白馬(しろうま)連峰というところなんだけど、ここから栂海新道(つがみしんどう)を通って日本海まで行くっていうのがまずあったんだよね。残雪期だけど一応雪山で大変だ。そこで「そんな大変な時期に山に入らなきゃいけない人間はいったいどういう奴なんだ」という疑問が生まれて、そこから各キャラクターの設定を作っています。

――そこで、池谷のキャラクターが出来たと。あとの二人というのは。

馳 とりあえず行かなきゃいけないんだけど、一人じゃ無理だから助ける人間が要る。それもプロの山屋(やまや)でなければいけない。それで主人公の得丸が決まった。さらに、二人の関係を強めるためにもう一人必要だから、若林を造形したわけですね。

――あと一人女性キャラクターが加わり、ほぼ三人と一人だけで話は進んでいきますね。

馳 難しいんだよね、エンターテインメントとしては。冬山という閉ざされた環境下では、どうしても登場人物が限定される。この状況で会話と行動描写と心理描写だけを使って、どう小説にして持ってくのかっていうのが書き手としては面白い。本当だったらもうちょっと人を出した方が筋の運びとしては楽なんだけど、それだとどうしても緊張感が薄れる。

――小説の構造としては過去のエピソードの配置がいいですね。登山部時代のエピソードがすごく大事なところに出てきて現在の状況と重なります。

馳 池谷が初めて白馬岳(しろうまだけ)に登った時のことをどこに配置するかは最初から決めていました。これは自分の経験なんだけど、初めて三〇〇〇メートル級の山に登って雲海とかを見た時の感動ってすごいんですよ。「これを見るために登ってきたんだ」というのを出したかった。

――光が射す感じがあって、だからこそ読後感がいいんだと思います。もう一つ小説の要素で面白かったのは、「山は持続するものだ」という考えが随所に出てくることです。三人の男がいて、一人は天才、一人はある事情から夢を諦めなければいけない、そしてもう一人は現実に妥協して山を細々と続けてはいる。この人物配置がいいですね。山の話なんですけど、いろいろな才能を持った人間のこととして読み替えることもできますから、そこに普遍性が生まれます。

馳 でしょうね。それは小説の世界でも同じことだし。また、山について言うと高度に体が順応できない人は、どれだけ鍛えても五〇〇〇メートル級から上の高山には行けないんです。そういう非情な側面も実はあるんだよね。

――これはネタばらしになるといけないんで曖昧に言うんですけど、主人公が遭難救助を仕事にしているという設定が効いてますね。だからこそ活劇場面に胸のすくような展開があって、それが冒険小説としての肝になっています。正直に申し上げると、馳さんがここまで純度の高い冒険小説を書かれたのが、以前の作風から見ると意外でもあるんです。

馳 自分でも思ってもみなかったよ(笑)。この小説だけじゃないんだけど、四十五を過ぎたあたりで、その時に書きたいものをこだわらずに書こうと思うようになったんですね。これも自分が山に登り始めたので「昔好きだった冒険小説をちゃんと書いてみようかな」ということだから。ただ、だからといって「国のため」とか「正義のため」とかって小説は書きたくなくて、すべてを個人に収斂(しゅうれん)させたい。個人の思いだとか信念だとか、それであれば俺も冒険小説は書けます。というよりも、もともと冒険小説ってそういうもんだと思いますよ。山岳小説ということで言えば、自分は本格的な冬山登山はあまりやったことがなくて、その点では未体験のことも書かなきゃいけなかったんですよ。実は初校が出た後で「山と溪谷」の編集者に目を通してもらったんだけど、いっぱい駄目出しが出て、ものすごく直しました(笑)。大筋は変えないけど、ディテールは直さないと嘘になるから。

――せっかくご本人が山に入って感覚を養っているのに、そういう細部で瑕をつけるのはもったいないですよね。

馳 自分は最近、登山というのは死に近づきながら生を実感する行為なんだろうと思ってるんですよ。山に登るってことはどんどん死を自分で引き寄せてくるのに近いけど、体力と技術と知識があれば近づいた死に飲み込まれず帰ってくることができる。それが多分登山の意味なんです。小説の舞台としても実に魅力的ですね。

――この作品の特徴の一つとして、登場人物の身体感覚と精神の拮抗関係が前面に押し出されている点が挙げられると思います。こんなに主人公の心情にシンクロしてドキドキしながら読む小説はない。それも山岳小説の魅力でしょうか。

馳 心理描写には力が入るよね。心と体はリンクしているから「その苦しい一歩を進むために何を考え、何を思っているのか」ということを書かないとリアリティがなくなる。多分、山岳小説を書く時は僕の他の作品より心理描写が多いんじゃないかな。

――馳さんは、ご自分の中に要素がある程度溜まってきたら、それを世界化して小説を書かれるタイプの作家だと思うんです。今回、白馬岳の中に主人公たちがいるというリアリティが非常に重要だと思うんですけど、それは実際に取材のために登山しなくても馳さんの中にあったものなんでしょうか。

馳 実際に登らないと駄目だったとは思う。必要だったのは景色、情景です。「ここにきたらこっち側に剱岳(つるぎだけ)が見えて、あっちには何が」というのはやっぱり自分で実感できないとうまく書けなかったかなと思います。これが町だったら、行ったことがないところでも、グーグルマップを見れば書く自信はあるんだけどさ(笑)。

――最後にこの本を今から読まれる方のために一言いただいてもいいでしょうか。

馳 繰り返しになりますけど、本格的な山岳冒険小説なので、山の美しさと厳しさ、山に登る人間達の心情なんかをぜひ楽しんでもらいたいですね。

――ちなみに、この後また山岳小説を書かれるとしたら、どんな作品になりそうですか。

馳 今回はかなり個人に特化した話だったので、もうちょっと登場人物が多い話も書いてみたいかな。あとは本当に難しいだろうけど、いろいろな夾雑物(きょうざつぶつ)は全部取り払って、一人の人間が山に登って下りてくるまでを長編で書けないかなとは思いますね。短編だったら書けるだろうけど、長編だと超難しそうだし超疲れそうだよ(笑)。

――読者としては、それはぜひ読んでみたいです!

馳星周(はせ・せいしゅう)
1965年北海道生まれ。横浜市立大学卒業。編集者、フリーライターを経て、1996年『不夜城』で小説家としてデビュー。翌年に同作品で第18回吉川英治文学新人賞、’98年『鎮魂歌―不夜城Ⅱ』で第51回日本推理作家協会賞、’99年『漂流街』で第1回大藪春彦賞を受賞。近著に『アンタッチャブル』『陽だまりの天使たち―ソウルメイトⅡ』『神奈備』『比ぶ者なき』『暗手』『神の涙』など。

光文社 小説宝石
2018年2月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

光文社

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