塩野七生「私は惚れる相手、選ぶ男には自信がある」――『新しき力』刊行記念インタビュー後編

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塩野七生『新しき力』刊行記念インタビュー後編「作家は自分を捨ててこそ生きる」

[文] 新潮社

仕事仲間に求めること

――私がまだ三十五歳で、編集長として「フォーサイト」という雑誌を創刊することになったときのことです。不安でいっぱいだったんですが、相談すると塩野さんは「あなた、部下を選んではいけない」とおっしゃった。で、その先がすごい。カエサルはまさにルビコンを越えんとするとき、彼がもっとも信頼する子飼いであるはずの第十軍団が来ていなかった。彼らを引き連れてルビコンを渡り、ローマに侵攻しようと考えていたんだけれど、現実には子飼いではない第十三軍団しかいない。しかし、もう時、満ちたりと。それで例の「賽は投げられた」となるわけです。ポンペイウスを中心にした反カエサル包囲網が作られていて、一刻もはやくローマに行かなければならないという状況ですから、カエサルは迷わず第十三軍団とともにルビコンを渡ったというんです。だからあなたも、部下を選んではいけない、と。この壮大な比喩には痺れましたね。塩野さんは若い人間へのアドバイスが本当にお上手です。

塩野 そんなことないですよ。私も楽しく仕事をしているわけだから、私の仕事に協力してくれる人たちにも楽しんでほしいと願っているだけのことです。楽しく、面白がって仕事をしていると、意外に成功しちゃうものですから。私もこうして五十年もこの仕事を続けられたのは、真面目なことばかりやってきたわけではないからかもね。

――相当な悪戯もしてきました。

塩野 編集者たちには悪いなとも思うのよ。なにしろこちらの頭がまだ整理されていないときに、長電話に付き合わせるでしょう? しかも長電話で話していたことが原稿になったときは、まったく違った形になっていることさえある。

――原稿にならないことだってありますしね。

塩野 でもね、対話っていうのはすごいものなんですよ。私があなたに話すわね。そして意が相手に通じる、それだけじゃないんです。自分の中で整理していくわけ、話しながら。司馬遼太郎先生はすごくおしゃべりだったと聞きますけれど、きっとご自分の中で考えを固めていったんじゃないかしら。黒澤明もおしゃべりだった。話しながら整理しているんだと思うんです。

――われわれは時には二時間、三時間と長電話することもありますね。

塩野 編集者はやっぱり原稿を書く上ではもっとも重要な協力者ですから。まだまだ粗の多い草稿を送った時なんかは、あなた方も文句があるでしょうけれど。でもいちいち粗探しをされるとゲンナリしちゃうわけ。だけど、パッと一つだけ何かいいことを言ってくれるだけでね、頑張ろうという気持ちになる。今でも覚えています。中央公論の塙さんの言葉ですが、「われわれは君が書いてる史実の結末を知っている。しかし、それでも読んでるうちに、サスペンスを感じる」と。そういうようなことを言われるとね、なんだか水をつけられたって感じで、お餅をつく手が元気づくのです。私にとっての一番いい編集者はそれです。餅つきの合いの手を入れてくれる人。

完璧な白紙になる

――『ギリシア人の物語』に話を戻しましょうか。

塩野 最近思うことですが、理論的に言えばウィキペディアとAI(人工知能)を組み合わせればローマ史もギリシア史も書けるかもしれません。しかし、実際は書けないでしょう。というのは、ある資料をどう読み込み、解釈するかというのは、やっぱり書く人間次第なんです。なにしろ古代に関していえば資料というのはだいたいもう出揃っていて、上限は決まっている。つまり、決めるのはデータの量ではない。学者が書く歴史よりも作家が書く歴史が面白い理由はね、両者とも勉強することでは同じなんですが、学者たちはその過去のデータに囚われるからです。それに対して作家というのは過去のデータ、つまり資料の一行をどう読み込むかに自分の全精神、生命をかけるわけです。

――学者でも作家でも人工知能でも、取り扱う資料データは一緒ですよね。公開されている情報です。

塩野 ええ。でも集めただけではダメ。読み込む必要がある。そして作家にとって一番面白い対象は人間です。でも学者はそうではない。人間に対して感情移入してはいけないことになっている。歴史の教科書から坂本龍馬だとかハンニバルが消されそうだと聞きますけれど、どうかしていると思います。歴史はやはり人です。

――ハンニバルでいえば、彼は戦地で野営するときに、ほかの兵士たちとともに地べたで眠り、兵士たちがそっと彼に毛布をかけたという話が『ローマ人の物語』に登場します。これは公開資料に書かれていることですよね。学者は注目しないけれども、作家はそこからするどく何かを持ってくる。

塩野 佐藤優さんが言っていたことだと思うんだけれど、インテリジェンスも結局は公開資料がもっとも大事な情報源だって。歴史も同じです。

――大事なのは公開資料をどう読み込むかですね。

塩野 将棋の羽生善治さんがどこかで言っていましたが、われわれの頭脳と人工知能のどこが違うかというと、「汎用性」という言葉を彼は使っていました。つまりデータや資料が、誰にでもアクセスできる状態で、ある。しかし、そこに変なものをつなげたり、思いもよらないものと組み合わせることができるのが、われわれの頭脳だということなんです。歴史を書くときも同じです。大事なのは書く人間がどう公開資料を解釈し、組み合わせるかということです。

――なるほど。

塩野 とはいえ解釈ありきで資料そのものはないがしろにしていいということではありません。解釈を過信してはいけません。歴史や史実に対しては常に謙虚でなくてはいけない。「蟹は自分の甲羅に似せて穴を掘る」という言葉があります。つまり、塩野七生なんてつまらない女なのだから、私に合った穴を掘っていたら、小型の蟹しか入ってこないことになっちゃうでしょう。だから私は、この男を書くということだけ決めたら、あとは白紙なんです。書きたい対象を前にして、私は完璧な白紙になるの。だから、塩野七生のオリジナリティだとか、塩野七生の文体とか、そんなことは知ったことではない。自分の独自性を発揮しなきゃと思うと、本当に苦労すると思います。

――若い作家が陥りがちなところかもしれません。

塩野 現代の美術はパワーがないと私は思っていますが、それは独自性を求め過ぎだからだと思います。私はすべてのものは独自性を求めたときに、純なるパワーが失われると思ってます。少しばかり刺激的な比喩を持ち出しますが、男と恋愛するのが嫌、ベッドインするのが嫌だっていう女性がいますよね。彼女たちの言い分は、そういう関係になると主導権を失って、自分の個性が損なわれるからということなんだと思うんですが、私から言わせたら、そんなことで損なわれるような個性は個性ではない。愛した男の前で白紙になることを畏(おそ)れてはいけません。それにね、「死んで生きる」という考え方があると思うんです。

――死んでこそ、生きるということですか。

塩野 ええ。死んでこそ生きる。私は自分、塩野七生を捨てるわけですよ、書くたびごとに。

――そうすることで対象が生きる。生かす。

塩野 そう。そしてその対象を生かすことによって、私がまた生き返るわけ。塩野七生なんてたいした女ではないけれども、惚れる相手、選ぶ男には少しばかり自信があります。だから、今度の男アレクサンダーも魅力的なはずですよ。

新潮社 波
2018年2月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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