「わかったつもり」に陥らないために「深く考える」ことを目指そう

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京大式DEEP THINKING

『京大式DEEP THINKING』

著者
川上 浩司 [著]
出版社
サンマーク出版
ジャンル
社会科学/社会科学総記
ISBN
9784763136411
発売日
2017/11/06
価格
1,540円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

「わかったつもり」に陥らないために「深く考える」ことを目指そう

[レビュアー] 印南敦史(作家、書評家)

きょうご紹介したいのは、『京大式DEEP THINKING』(川上浩司著、サンマーク出版)。京都大学デザイン学ユニット特定教授、博士であり、「大学で、学生たちに試験問題を出す立場にある」という著者が、「深く考える」ことを考え、「考え抜く力」を高めることを目的として著した書籍です。

京大生には「頭がいい」というイメージがありますが、その点については「高得点の人間=本当に頭のいい人間なのだろうか?」と疑問が生じることがあるのだとか。そして実のところ、頭がいいとは、「深く考えられる」ことだというのです。

頭の良さは、点数では測れない。なぜなら「深く考える」という営みは決して数値化できないものだからだ。(中略)仕事のうえでも生きていくうえでも、役に立つのは「深く考える力」である。「深く考える」という「本当の頭の良さ」が、最高の強みになるのだ。(「Introduction 「浅い思考」でよしとしていないか?」より)

だとすれば気になるのは、どうすれば「深く考える力」がつくのかということ。このことについては、「深く考えるには、深く考えていくしかない」というのが著者の持論だそうです。そして大切なのは、考える力をつけるために、考える時間をつくること。とはいえ、考える時間をつくるために時間の使い方を工夫したりすることは不要。必要なのは、「考えることの価値を知る」ことなのだといいます。

効率化の時代に、なぜ「深く考えること」が必要なのかと、疑問に思う人もいるだろう。「思考力より判断力が重要だ」という議論もある。

しかし、「深く考える」営みこそ、人間の個性であり一番の強みだというのが、元AI研究者としての私の意見だ。(「Introduction 「浅い思考」でよしとしていないか?」より)

この点についてもう少し理解を深めるべく、第0章「DEEP THINKINSの極意 —「深い思考」の正体を知るー」に焦点を当ててみたいと思います。

「考える」と「深く考える」の根本的な違いとは?

私たちは日々、常になにかを考えています。たとえば朝の通勤電車で「きょうは混んでいるな。事故があったのかな」と考えたり、「混んでいるから遅延しそうだ。駅に着いたら走るか」と頭に言葉を浮かべてみたり。しかし、言葉を頭のなかに浮かべて反響させることが、「深く考える」ことではないはず。

重要な仕事についても同じで、「この件については、考えに考え抜いた」「じっくり考えて、ようやくこれ以上ないであろう答えが出た」というような実感が得られることはそれほど多くないでしょう。

私は、このような『考える』という営みは『recognition=認識』だと解釈している。

つまり「目の前のものは、すでに自分の中にある概念と同じだ」と認識する作業が、一般に私たちがいつもしている「考える」作業のほとんどだと思うのだ。(25ページより)

先の例でいえば、自分のなかにはすでに「電車の混雑=事故」「電車の混雑=遅延」という概念があるということ。目の前の「電車の混雑」という状況を見て、すでにある概念に当てはめ、別の言葉を使って頭のなかで表現したりしながら、「再び(re)+認知(cognition)」するというわけです。

乱暴な表現を用いるなら、目の前のことと自分の知識との答え合せのようなものだと著者。だから、「考える」だけなら時間はかからない反面、新しい着想は生まれにくい。頭に言葉を浮かべるだけでは、本当の意味で「深く考えた」とはならないということです。(24ページより)

「着地点」ではなく「道中」に集中する

しかし、「深く考える」となると話は大きく変わるもの。

「深く考える」とは、たとえば未知のものを目にしたとき、それは何かを、考えて考えて考え抜いたすえに、まったく新しい概念が自分の中に形作られることだ。

また、既知のものであっても、新たな面を見ようと思案する道筋そのものが「深い思考」となり、それによって発想の転換も促される。(26ページより)

たとえば、未知の生物を見たとしましょう。そのとき、まずは「犬? 猫? タヌキ?」というように、自分のなかにある概念と答え合わせをするでしょう。しかし、どれにも当てはまらないとしたら、あらゆる角度から見たり、捕まえたり、匂いを嗅いだり、あれこれ試行錯誤をして、どんな動物なのかを知ろうとするはず。

深く考えて、既存の知識と照らし合わせ共通項を見つけたりしながら、新たな発見を試みるわけです。それは簡単なことではないので、回り道もすれば勘違いもすることになります。後戻りする可能性もないとはいえないので、時間もかかります。

しかし、そんなプロセスの果てに、ようやく自分のなかでその生物が「新しいXという動物」として認識されます。著者によれば、このような「認知(cognition)」こそが深い思考。もっと簡単にいえば、「深く考える」とは、自分の力で自分だけの発見をし、それを自分のなかにコレクションしていくことだというのです。

「深く考える」とは、プロセスを省略せず存分にたどり、さまざまな発見をし、自分なりの答えを導き出すという営みそのもの。そうやって「発見」の回路が脳に一度つくられれば、深く考える機会も自然と増え、おのずと思考力強化につながっていくといいます。いいかえれば、それまで面倒だった「思考」への苦手意識が弱まり、しっかりと腰を据えて「考え抜ける」体質になっていくものだということ。(26ページより)

「深く考える」とは「一工程、意識する」こと

著者がAIの研究者だったとき、コンピュータに「深く考えること」のひとつである「デザイン(設計)」をさせようと試みたことがあるそうです。しかし、それはとても難しいことだったのだとか。コンピュータに「思考」を搭載するのは、どんなに技術が発達しても無理なことだったというのです。

ウインドウズを買うと、最初からウェブブラウザ、エクセル、ワード、メールがインストールされている。それと同じで、人間には「深く考える」という機能が初期設定されている。せっかくだから使ったほうがいいというのは、至極真っ当な提案ではないだろうが。

工学系経験者として、AIに「深く考えさせること」の難しさに直面したことがある私は、「考えられるんだから、考えなければもったいない」と素朴におもうのだが…。(28ページより)

多くの人がAIをつくろうと思っているわけではないにしても、「考えられるのなら、考えることができたほうがいい」という点においては、誰しも同じ。なぜなら、おそらくは「自分がいま取り組んでいることや生きているというプロセスを実感し、考えられる」というのが、人間の共通項なのだから。(27ページより)

ここを考えないと「わかったつもり」に陥る

思考を介在させずに行動するのは、「自分」を放棄しているようなものだと著者。しかし、自分を放棄して働く、誰かの意のままに動くというのは、とても恐ろしいことではないでしょうか。

著者の師匠は、「不便益というのは、セル生産方式だ」とよく言っていたのだそうです。工場などで実施される「ライン生産方式」は、タスクを細かく分割しています。Aが「このネジを締めたら、この部品とこの部品が動かないように接合して基礎ができる」というタスクをこなし、Bが「このバネをとりつけたら、ここが可動式になる」というタスクをこなす…と、トータルで製品ができあがるわけです。

どれか1つが欠けても製品は不良品になりますが、ずっと同じ作業を続けているAにその実感はないでしょう。同じことの繰り返しだから逐一タスクを意識する必要がなく、「なんのためにネジを締めているのか」を考えなくても作業ができるわけです。もちろんそれは、Bにしても同じ。つまりタスクに思考が介在しないだけに、「わかったつもり」に陥り、「自分」を放棄しているということ。

一方、すべての工程に1人の人間が関わる「セル生産方式」だと、1から10まで自分が関係することになります。そのため、各タスクの意味を自分ごととして理解できるわけです。「次はこのネジだ。しっかり締めないと、次のネジがうまくはまらない」「ここの接合具合で完成度が変わってくる」と言ったことを、常に考えて作業しているわけです。

「ライン生産方式」と「セル生産方式」のどちらが便利かといえば、それは前者。そのため、ほとんどのものはラインで生産されているわけですが、ビジネスパーソンは、決して「ライン生産方式」で働いているつもりはないはず。「なにも考えない歯車になりたい」という人は少ないということですが、皮肉なことに、便利さと効率ばかりを重視していると、ビジネスパーソンも日々の仕事を「ライン生産方式」かのようにこなすようになってしまうもの。

しかし、だからこそ、あえて不便な「セル生産方式」によって、「考える」という営みが取り戻せる。師匠はそう考えていたのかもしれないと、著者は振り返っています。(30ページより)

「価値あるユニーク」を生む唯一無二の思考

深く考えた末に得た答えや着想は、「珍しい、変わっている、ユニーク」なものである確率が高いもの。だからといってそれが正解だとは限らないものの、ユニークという要素は、「価値がある考え」に不可欠だと著者はいいます。

「ユニーク:unique」とは、独自性。もちろんこの世で「唯一無二」の答えを出すのは簡単ではありません。しかし、「珍しい、変わっている、ユニーク」な答えを出すことは、深く考えて「自分らしさ」を織り交ぜることによって、多くの人に実現可能だと著者はいいます。そして、ユニークな答えを出すことこそ、深く考えることの大きな目的のひとつなのだそうです。(34ページより)

「深く考える」という営みなしに、有効な選択肢が複数生まれることはない。スピーディに出す答えが正解で、「1粒のダイヤモンド」ということもあるが、その確率は相当に低いはずだ。

いっぽう、深く考えた人の出す答えは、つねに砂や砂利やタイルのかけらやさまざまな石ころが混ざった「集まり」だ。そこにはダイヤモンドが混じっていることもあるし、混じっていないこともある。

ただし、ユニークな答えやダイヤモンドが含まれている可能性は、この「集まり」の中にこそあるのだ。(37ページより)

たしかに「考える」ことこそしていたとしても、「深く考える」機会はそれほど多くはないはず。しかし、だからこそ大切なのは、あえて深く考えてみること。そうすれば、思考の扉が大きく開かれていくのかもしれません。

Photo: 印南敦史

メディアジーン lifehacker
2018年1月25日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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