<東北の本棚>フクシマ被災民の慟哭
[レビュアー] 河北新報
<たぶん何処へ行かうが随きくるフクシマを一生われは抱へてゆかむ>。歌集の意味が、この一首に凝縮されている。
著者は1953年、福島県富岡町生まれ。現代歌人協会会員。富岡は、福島第1原発事故の被災地である。「宿命」と言ってはあまりに悲しい。収録した411首の歌には、被災地に生きる人間の慟哭(どうこく)の叫びがある。
原発の爆発音は自宅で聞いた。<つながらぬ太郎のメールが繋がりて「避難」を促す着信履歴>。太郎(仮名)は東京にいた長男を指す。家を捨て、故郷を捨てて飯舘村、福島市へと避難。<放射能濃くただよへる村里をよぎる生死の水際をよぎる>。表題はこれによる。<両手延べ立つときふとも思ふなり被曝検査(スクリーニング)は十字架のかたち>。あの日から、被災民は十字架を背負わされた。人類の負の遺産を背負うように。
父と母は、郡山市へ避難。<木々芽吹く村をし行けど人を見ずよく来たといふ父も亡しはや>。父親は避難中に亡くなった。母親は今、郡山市と富岡町を行き来。自身は昨秋から、子を頼り東京で暮らしている。
<悔いのなき生を生きたし梅の蕾きのふよりけふ咲(ひら)くる多し>。梅は桜と違って一日一日、少しずつ咲いていく。「未来への希望を込めた」と著者は言う。
いりの舎03(6413)8426=2700円。