その宝石と心の真贋 ブラジル文学の傑作

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その宝石と心の真贋 ブラジル文学の傑作

[レビュアー] 都甲幸治(翻訳家・早稲田大学教授)

 結婚における真実とは何か。現代ブラジル文学の傑作である本書はこの問いを突き付ける。マリアは高名な判事だった夫の遺品であるルビーを甥に託し、鑑定させる。そしてただのガラスだと分かると、「恐ろしいまでに平板な声」で鑑定士を罵る。だがなぜ彼女の声は平板だったのか。それは彼女が、ルビーの本性をとっくに知っていたからだ。

 彼女の幸福な夫婦生活には秘密があった。実は夫はゲイで、私設秘書とできていたのだ。だが貴婦人である彼女にはそんな不名誉は認められない。かくして偽物のルビーを本物だと装い続けるように、偽物の結婚を本物だと装う共犯関係が続く。そこで重要なのが宝石商のマルセウだ。友人として夫と私設秘書との関係を取り持つ一方、自分はマリアと愛人関係になる。誰もが状況を知りながら何も語らず、互いにどこまで知っているのかもわからない。ならば偽の関係には不幸しかないのか。けれどもある種のルビーが不純物を持つがゆえに耀きと価値を増すように、マリアとマルセウは人生の喜びを手に入れる。しかも彼が彼女に贈ったルビーはご丁寧にも本物なのだ。

 中心にはゲイの存在を認めないブラジル上流社会がある。同性愛者であることが明かされてしまえば、夫も妻も、登場人物すべてが破滅だ。だからこそ、一つの嘘がもう一つの嘘を生み、やがて何が真実か誰にもわからなくなる。ただの日常を描いた場面すらが複数の意味で軋む。一九三〇年生まれのタヴァーリスは詩人らしく、極度に密度の高い文章で愛と人生を描写している。たとえばこうだ。「きらきらと輝く光だけが、植物のあやどるベランダの宙に残される」。しかし同時にそこには、人種問題や同性愛者の苦しみなど、強い社会的な意識がある。

 判事の生活習慣を今も守って生きるマリアが徐々に偉大な存在に見えてくる。これこそ女性作家たるタヴァーリスが目指したことだろう。幸福の形は決して一つではないのだ。

新潮社 週刊新潮
2018年2月1日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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