『葵の残葉』
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徳川傍流の四兄弟 有為転変の幕末維新
[レビュアー] 縄田一男(文芸評論家)
この一巻を読み終えて、成程、こういう歴史の書き方もあるのだなと思うことしきりであった。
本書の主人公は、幕末維新の荒波に翻弄された徳川傍流である高須(たかす)松平家に生まれた四人の兄弟――次男・慶勝(よしかつ)、五男・茂栄(もちはる)、六男・容保(かたもり)、八男・定敬(さだあき)である。
こう書いていくと、さぞ超大作ではないか、と思う方がいるかもしれないが、本書の本文は三〇〇ページを切っている。
ここでくれぐれも誤解のないように記しておくと、私は大作でなくてはいけない、といっているわけではない。これだけの内容――多面的にとらえられた幕末維新の動乱――を、主人公たちの心理描写や行動のみで描き切った作者の小説作法を称賛したい気持ちで一杯なのである。
この一巻には、蛤御門の変も、長州征伐も、会津攻めも出てくるが、具体的な描写なくして、累々と重なる死体の重みが描かれている。
さらに、徳川慶喜の浮薄さ、抜け目のない謀略家としての西郷隆盛の一面を伝えることなど、この作家には、二、三行もあれば充分なのだ。
そして四兄弟の中で軸となるのは、尾張徳川家の養子となり、こと志と違い、いちはやく官軍につかざるを得なかった慶勝。この慶勝は、植物採集や写真が趣味で、もし泰平の世に生まれていれば、第一級の趣味人として生涯を送った人物であろう。
詳述はしないが、その慶勝を襲う「勤王証書」にまつわる、忠臣十四名斬首のくだりは落涙を禁じ得ない。
そして、この作品の〈序〉と〈結〉は、明治十一年(一八七八)九月三日、この四兄弟が、二見朝隈(ふたみあさくま)写真館で記念写真を撮る場面でくくられているが、一橋家を継いで尾張と維新派の交渉を行った茂栄はまだしも、会津藩を継いで、幕府方最大の犠牲を払うことになった容保や、京において兄を補佐、最後まで転戦を続けた定敬が生き残っていることこそ一つの奇跡といえよう。感銘深い一巻だ。