みんなが優勝できる「祭り」――鴻池留衣『ナイス・エイジ』

レビュー

7
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ナイス・エイジ

『ナイス・エイジ』

著者
鴻池 留衣 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784103514619
発売日
2018/01/31
価格
1,728円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

みんなが優勝できる「祭り」

[レビュアー] 倉本さおり(書評家、ライター)

 嘘か真か。正か誤か。なにかを裁定するのはとても気持ちがいい。だからこそあからさまに「嘘」とわかるものを見つけると人びとはこぞって興奮する。けれど、このとびきり胡散臭くて面白い小説を読み終わったとき――じわじわと胸に滲み出すのは、むしろいつまで経っても消えない疑念だ。

 表題作はAV女優として生計を立てている絵里が「アキエ」という偽名を使ってインターネットの匿名掲示板のオフ会(ネット上での知り合い同士が実際に顔を合わせる会)に参加する場面から幕をあける。そこにいる面々はみな「2112」なる人物の降臨を期待して集まっている状態だ。2112とは、くだんの掲示板で「2112年からやってきた」と主張する「未来人」、つまり自称タイムトラベラーのことで、東日本大震災とおぼしき災害の影響など、数年前に書き込んだ予言がすべて的中したことから熱心なウォッチャーを生み出している。結局2112の正体は掴めないままオフ会はお開きになるものの、二次会、三次会と飲み歩くうち、進次郎という歳下の男とふたりきりになった絵里は、彼から頓狂な告白を受けることに。すなわち、自分は未来からやって来た絵里の孫であり、2112その人である、と――。絵里は進次郎を自宅に住まわせながらこっそり観察し、その動向を実況中継的に掲示板に書き込むことで真相を暴こうと奮闘する。

 未来人・進次郎の実態は最初からツッコミどころ満載だ。稼働に「エキゾチック物質」(!)なる自然界の謎の資源が必要となるらしいタイムマシンは、どう見ても普通のキャリーケース(コロコロのついたあれ)だし、タイムトラベルの原理や矛盾を問い質しても、最低限の言葉で抽象的な表現を繰り返すばかり。だが、進次郎が2112本人かどうかわからないのはもちろん、そもそもネット上で2112を名乗っている人物自体がひとりだけとは限らないのだ。最初からあやふやな足場しか持ち得ない絵里は、どうしても進次郎の「嘘」を証明することができずにもどかしさを募らせていく。

 実際、現実の絵里の視点に寄り添って綴られる同居生活のなまなましさとは裏腹に、掲示板の中の「アキエ」の言動は、読み手にとっても途端に胡散臭く映る。このあたりの作者のセンスと手腕には舌を巻く。凹凸の少ない、つるつるとなめらかな文体を用いながら、立ち位置をさりげなくコントロールすることで、真偽というものが一種のグラデーションにすぎないことを見事に穿っているのだ。

〈「真実が嘘に勝つことを証明するための勝負」〉。絵里は自分のふるまいに対してこんな言い訳を与える。そこに、怪しげな霊感商法にどっぷりハマった実家の母に対する苦々しい感情が重ね合わされていることは、「アキエ」というのが母の実名に由来する点にも端的に表れている。一方、掲示板の住人たちの欲望はもうすこし面妖だ。〈「俺らは心の底で騙されたいんだよ。それが俺らがここに齧り付いている理由なんだよ。アキエ氏、アキエ版は俺たちの総意によって存在していたといっても過言ではない」〉――無責任な立場から投じられる無数の書き込みによって形成されていく空間において、もはや「真実」はあらかじめ虚構と癒着したコンテンツでしかありえない。ゆえに絵里自身も含め、彼らは「アキエ」ないし「アキエ版2112」の胡散臭さに依存する形で積極的にその「勝負」を――すなわち「祭り」を盛り上げていく。

 ところが職業の特殊さが仇となり、絵里の身元が特定されたことから「祭り」は変容を遂げる。台東区下谷という住所にちなみ、絵里のマンションに押しかける行為がネット上で「たいとうくした」と呼びならわされ、そこから「たいとうくする」という動詞が誕生。ついには「空中勝負」こと「空中たいとうくする」蛮行へとエスカレートしてしまう。

 言葉が実体から乖離し、猛スピードで変遷していく昂揚感と、底知れぬ気持ち悪さ。〈「ポスト真実(トゥルース)時代の新文学」〉とはよくいったものだ。作中小説のタイトルとして登場するその文言は、当然ながらメタ的な自己言及として機能している。とはいえ、この作者の本質が、机上で切り離される頭でっかちな思想などではなく、あくまで日常と地続きにある言語感覚の鋭さに根ざしていることは、本書に併収されているデビュー作「二人組み」を読んでも明らかだろう。問いかけられてもほとんど言葉を返さないクラスメイトの女子を前に、主人公の饒舌さがひたすら上滑りすることで、見える景色を目まぐるしく変えていく――その不気味で滑稽な姿は、いまを生きる私たちが言葉と結びうる関係性を、ちょっぴり意地悪く洗い直してくれる。

新潮社 波
2018年2月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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