【文庫双六】映画に熱中していた学生時代が蘇る――北上次郎

レビュー

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映画に熱中していた学生時代が蘇る

[レビュアー] 北上次郎(文芸評論家)

【前回の文庫双六】機知と皮肉、遊び心に満ちたアフォリズム集――梯久美子
https://www.bookbang.jp/review/article/546572

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 斎藤緑雨が明治法律学校(現在の明治大学)に一時期在籍していたとは知らなかった。私の先輩だったのか。歴史のある学校であるから多くの著名人を輩出しているが、1965年の春に入学したとき私が知っていたのは川島雄三だけであった。

 しかも、その作品を観たことはなく、名前を知っていただけである。というのは、「明治に入るなら川島雄三のいた映画研究部に入るのがいいわ」と姉が言ったからだ。黒澤を観たこともなく、フェリーニも知らず、個人的なベスト映画は、石井輝男が「網走番外地」の前年に撮った「ならず者」だった。香港、マカオを舞台にして、ちんぴらを演じた若き高倉健がぼろくずのように死んでいく映画だった。

 それで映画監督の名前というものを初めて知った。私が高校3年のときである。

 映研で過ごした4年間は多くのことを私に教えてくれた。私の後半生を決定づけたのはその4年間だったような気もしている。「川島雄三のいた映画研究部に入るのがいいわ」と姉は何気なく呟いただけなのかもしれないが、その呟きを聞かなければ映研に入らなかっただろうから姉には感謝している。

 川島雄三を描いたものとして、藤本義一に「生きいそぎの記」がある。直木賞の候補となった作品だが(受賞するのは数年後の「鬼の詩」だ)、撮影所で出会った川島雄三というきわめて特異な監督を、藤本の目を通して描く鮮やかな一編である。これが名作であるのは言うまでもないので、ここでは、河出文庫版に収録されている「師匠・川島雄三を語る 屈折した水面下の明るい光」と題した講演録を取り上げておきたい。これが大変興味深い。

 川島雄三は、弟子である今村昌平と中平康に、特に今村の肉体と中平の頭脳に、相当なジェラシーを持っていたのではないかと、その講演で藤本は推論している。こういうものを読むと、映画に熱中していたあの4年間がすごい勢いで蘇ってくる。

新潮社 週刊新潮
2018年2月8日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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