成功と隣り合わせの現代病イップスの謎に迫る

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イップス 魔病を乗り越えたアスリートたち

『イップス 魔病を乗り越えたアスリートたち』

著者
澤宮 優 [著]
出版社
KADOKAWA
ジャンル
文学/日本文学、評論、随筆、その他
ISBN
9784041059289
発売日
2018/01/26
価格
1,650円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

成功と隣り合わせの現代病イップスの謎に迫る――【書評】『イップス 魔病を乗り越えたアスリートたち』生島淳

[レビュアー] 生島淳(ノンフィクション作家)

 イップスという言葉をご存じだろうか?

 一般的に、野球で突如としてまともに送球できなくなったり、ゴルフではパターがうまく打てなくなってしまうことを指す。

 この症状は一般の愛好家を襲うだけではなく(草野球だったら、一塁に暴投したとしても、たぶん笑って済む話だ)、キャリアを重ねてきたプロをも襲うのだから恐ろしい。その症状が現れると、下手をすれば選手生命が断たれかねない。

 スポーツノンフィクションの世界では、一般に「横断型」のテーマを持つ作品は成立が難しい。しかし、澤宮優さんの『イップス 魔病を乗り越えたアスリートたち』では元プロ野球選手三人、プロゴルファー二人を取り上げ、関係者へのインタビューを交えながら魔病の実態へと迫っていく。

 驚いたのは、今ではファイターズ中継の快活な解説で知られる岩本勉、かつては守備の名手として知られていたヤクルトの土橋勝征、「ひちょり」の愛称で親しまれた俊足攻守の外野手森本稀哲と、イップスからは程遠いと思われるキャラクターの選手や、名手と評価が高かった選手が罹っていたという事実である。

 なぜ、彼らは魔病に取り憑かれたのか。ひとつには、肘の位置など投球動作の問題に起因することが多い。苦しんだ土橋、森本の両選手が内野から外野にコンバートされたことで克服のきっかけをつかんだのは、「一塁へうまく投げる」ことよりも、「ホームへ思い切り返球する」ことが治療には有効だったことを本書は示している。イップスは雑念を払い、シンプルなプレーに集中すれば発症しにくいことが、文章からうかがえる。

 ゴルフの世界に目を転じれば、現在は解説者としても活躍している佐藤信人の場合、絶頂期にあった二〇〇二年、ゴルフ雑誌の企画で透明のボードの上でパッティングをし、その様子を下から撮影してもらうという企画があった。ところが誌面で自分のパッティングを見ると、癖があることに気づいた。その矯正に乗り出したところ、イップスの症状が現れ始めた。成績が下り坂になった時のことを佐藤は、「破滅に向かって自転車を漕いでいる感じでした」とまで語る。鬱を思わせる心理状態にもなった。

 それでも佐藤は、信頼できるコーチと二人三脚でイップスと向き合うことで、ゴルフの世界でなんとか生き延びている。

 五人のイップスをめぐる物語のなかで、私にとってもっとも印象的だったのは、プロゴルファーの横田真一のエピソードである。横田は二〇〇四年の大会で優勝争いを演じていた最終日、パットを打とうとした時、腕に突如電気が走った。これがイップスの発症だった。

 散々に悩んだ横田だが、順天堂大学医学部を訪れ専門家の意見を聞く。ここで解決へのヒントとなったのが「自律神経」と「腸内環境」だった。このふたつの要素は連動しており、腸内環境を整えれば自律神経の安定につながるというのだ。体内の目にすることが出来ない要素が、イップスと関わっているという指摘はたいへん興味深い。

 イップスが怖いのは、この原因を取り除けば二度と現れないというものではなく、様々な要素が絡み合い、選手に取り憑いてしまうことだ。解決するための特効薬はなく、向き合うことでしか、症状を和らげる道はないことが本書から浮かび上がる。

 そして、澤宮さんはイップスの低年齢化を指摘する。たとえば、女子ゴルフの世界では宮里藍など十代から活躍する選手の登場で、十代前半からゴルフに大量の時間を投下する年代が現れた。しかし、どんな競技でも「一万時間」までは技術は向上するが、それを超えると成長の速度は緩やかになり、同時にイップスに罹る危険性が増すという。

 成功と隣り合わせに存在するイップス。なにか、「現代病」の一面を持ち合わせているのかもしれない。

KADOKAWA 本の旅人
2018年2月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

KADOKAWA

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