どんな場所でも、生きていくこと

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モモコとうさぎ

『モモコとうさぎ』

著者
大島 真寿美 [著]
出版社
KADOKAWA
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784041061619
発売日
2018/02/01
価格
1,650円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

どんな場所でも、生きていくこと――【書評】『モモコとうさぎ』北上次郎

[レビュアー] 北上次郎(文芸評論家)

 ストーリーの表層を追うと、大事なものがこぼれ落ちる。これはそういう小説だ。では、この小説にとって、いちばん大事なポイントとは何か。そのために、少しだけ遠回りする。

 モモコ二十二歳は家出して、西尾さんの部屋に行く。西尾さんは同学年だが、就職の決まらなかったモモコとは違って無事に就職。社会人になっている。その部屋に転がり込むのだ。だが、半月以上いると居づらくなってくる。そこで唄ちゃんの部屋に行く。唄ちゃんも友達だ。ここからモモコの彷徨が始まっていく。そこも事情があって居づらくなり、次は兄の住む独身寮に行く。兄は五年前に就職と同時に家を出て、会社の寮に住んでいる。家具つきでコインランドリーもあって、食堂もあって二十四時間いつでも食事が出来る。広々とした個室が与えられ、さらに都合のいいことに、ゲストルームもある。兄が就職したのは外資系のマルチ警備会社。海外派遣もあるというから、なんだか怪しげだ。傭兵会社なんじゃないか。

 居心地のいい場所だったが、兄に半ば追い出されるかたちでそこを出て、今度は海辺の町へ行く。住居つきの働き口があると言われて始めた仕事は、「汚物処理をしたり、吐瀉物や血液で汚れた空き部屋の掃除をしたり、大量のシーツを取り替えたり、いわゆる汚れ仕事だけを引き受ける最底辺の下働き」で、住まいは雑居ビルの一室。同じボスに雇われていて就労ビザが切れているベトナムやフィリピンなど外国の八人とぎゅうぎゅう詰めの日々。その仕事も首になり、この際だから実の父親のお墓参りをしていこうと思って訪ねた山間の村に、どういうわけか居ついてしまうが、何の不満もなく居心地のいいその村も出ていくことになって、コンビニカーの主メリーさんが案内してくれたのが、桃源郷。そういう名前の村があるんだという――ストーリーの紹介はここまでにしておく。物語はあと100ページ弱残っているが、その村でも劇的なことは起こらず、これまで同様の日々が続いていくことを書くにとどめておく。

 急いで付け加えておくが、ここまでは、ものすごく省略したストーリーの紹介にすぎない。それぞれに個性の強い人物がいて、奥行きのあるドラマが語られることは書いておかなければならない。読書の興を削がないよう、また煩雑になるので細かなことは紹介しなかったが、実はそういうディテールを読むのが小説を読むことの愉しさだ。山間の村のお婆さんたちとの交流などを始め、もっと読みたいなあという欲求を十分に満たしてくれるから、さすがは大島真寿美である。

 モモコの彷徨を描くこの長編の主題は、では何か。

「ふつうに就職して、ふつうに自立して、ふつうに家出てくのって、こんなにも難しかったんだね。あたしはぜんぜんだめだった。お兄ちゃんの足下にも及ばないよ。ほんと、甘かったよ。就職ひとつ、できなかったんだもん。悲しいかな、全滅だよ」

 これは兄に向かって言うモモコの言葉だが、これを言葉通りに受け取ると、モモコの彷徨は勤め口、つまり仕事探しの旅に思えてくる。コンビニカーの主メリーさんに、「わたしにも仕事、作れますかね」と尋ねるシーンをここに重ねれば、起業のすすめのようでもある。

 しかし桃源郷にも止まらないという結構に留意したい。ラストに出てくる記述を引くのはマナー違反なので、ここはぐっと我慢するが、ラストの力強い結語を見られたい。モモコは仕事を探していたわけではなく、自分探しをしていたわけでもない。彼女が求めていたのは、生きる強さだ。どんな仕事でも、どんな場所でも、生きていくことの出来る力だ。そういう力がこんこんと湧いてくるラストに留意。モモコ、もう大丈夫だ。

KADOKAWA 本の旅人
2018年2月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

KADOKAWA

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