小川洋子が描く“奇跡の瞬間”短篇集

レビュー

5
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口笛の上手な白雪姫

『口笛の上手な白雪姫』

著者
小川 洋子 [著]
出版社
幻冬舎
ISBN
9784344032453
価格
1,620円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

日常の中にある奇跡の瞬間 全8篇の魔法のような短篇

[レビュアー] 杉江松恋(書評家)

 沈黙の声が聞こえる。

 ざわめきの中では、本当に聞きたい声が騒音にかき消されてしまう。耳を澄ましても無駄なのだ。しかし、神の恩寵のように突然、聞こえないはずの声が聞こえてくることがある。小川洋子『口笛の上手な白雪姫』は、その奇跡の瞬間を描いた短篇集だ。

 表題作の主人公は、ある公衆浴場に住みついた〈小母さん〉である。乳飲み児を連れた女性から子供を預かり、お客が入浴している間、代わりにあやすのが彼女の仕事だ。まるで白雪姫が森の小人と共に住んだような小屋で暮らす〈小母さん〉は、物語の継母とは正反対の慈愛を、他人の子供たちに注ぎ続ける。彼女の吹く口笛は、大人には聞こえないが、赤ん坊の耳には確実に届き、平穏をもたらす。小さな生命を、そうして護っているのである。

「仮名の作家」の語り手〈私〉は、ミスターMMという小説家をこの世でただ一人の恋人と認識した女性だ。他の者には聞こえない彼の声を受け取っていると信じる〈私〉は、ミスターMMの作品をすべて暗記し、ファンとの交流の場所に出かけていってある行動に出る。自分にだけ届く声を聞いてしまった者は、傍から見れば滑稽ですらあるが、内面は至福に満ちているだろう。その存在の孤高さを描いた一篇だ。

 その他、言葉で他人と交流することに尻込みしてしまう少年が思いがけない者と出会う「先回りローバ」、曽祖父と共に日々、秘密の冒険に出かけていたひ孫が世界で最も柔らかく温かいものが何かを知る「盲腸線の秘密」など、日常の風景を描きながら見たこともないような幻影をそこに浮かび上がらせる、全八篇の魔法のような小説が収められている。

 本書の中ではこの世界が、弱い者をいつでも傷つけかねない荒々しいものとして描かれる。しかしその中にも救済の地はあるのだ。そこに辿り着いた人が安堵のあまり漏らす溜め息が、全篇に満ちている。

新潮社 週刊新潮
2018年2月15日梅見月増大号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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