『ことばはフラフラ変わる』
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門外漢にも楽しく読める 比較言語学の“考え方”
[レビュアー] 渡邊十絲子(詩人)
黒田龍之助を読むたび、心にあらたな小窓ができたような気がする。壮大な眺めを見せる窓ではないが、その窓が開いたことで、それまで視野に入っていなかった小さいものがひとつ見えるようになる。
じつはこの本は二〇一一年の『ことばは変わる』の改題・増補版だったのだが、読み終って奥付けの注記を見るまで気づかず、新刊として読んだ。それでなんの不都合もなかった。書かれているのは、外国語大学での比較言語学の授業内容だ。言語学そのものが門外漢にとっては模糊とした存在だが、その手法や目的などを問われると、なおさら心もとない。たぶん学生自身がそうで、手探りで言語のなぞに立ち向かおうとするようすが、ふんだんに引用された「学生の解答例」からわかる。
「もしも日本語が将来(複数の言語に)分かれてしまうとしたら、どのような要因が考えられるか」という問題に対して、日本人が世界中にちりぢりになる状況を想像する人、世代間ギャップを念頭に置く人、現実に存在する外国の日系二世・三世の言語生活を例に出す人など、学生の発想はさまざま。そしてそれらに対し、「学問としてこの問題をとらえ考えるとは、こういう態度をとることなんだよ」と先生が教える。正解と不正解があるのではなく、正解に向かうアプローチの適否こそが検討の対象である。
つまりここにあるのは、冷凍保存された「学問の成果」ではなく、生きて動いている学問だ。学生のユニークな解答が先生にあらたな視点を提供することもあるし、世代や地域特有の言い方を学生が報告し、結果としてみんなの知識量が増えたりもする。そして大事なのは、たった一つで言語学全体がひっくりかえるような重大発見なんてないということだ。自分の持ち場はささやかであることを知り、でもその場所で情熱を持ちつづける。未来への希望ってこういうことなのだ。