【追悼特集】葉室麟 遺作『玄鳥さりて』に込めたもの――土筆を摘む人

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玄鳥さりて

『玄鳥さりて』

著者
葉室 麟 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784103280156
発売日
2018/01/22
価格
1,650円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

土筆を摘む人

[レビュアー] 澤田瞳子(作家)


葉室麟

 葉室麟さんはお話好きな方だった。酒を愛し、酔えば酔うほど饒舌になり、活発な意見の応酬を好まれた。相手が年下でも議論の手を休めず、むしろより熱心に弁舌を振るうお姿には、立場や年齢に囚われず人と向き合う誠意がにじんでいた。

 だから私もそれに応じるべく、お会いする約束が出来ると、「あの話をしよう。これについてのご意見をうかがおう」とお話ししたいことを数えて、その日を待った。体調を崩され、京都の仕事場にお越しになる機会が減ってからも、「また会おう」との約束を信じて溜めた話題は幾つになるだろう。

 突然の訃報に駆け付けたご葬儀の席、祭壇にはこれまで刊行された五十七冊の著作が飾られ、中には出来たばかりの『玄鳥さりて』の束見本(つかみほん)も含まれていた。実はこの長編の連載が始まって以来、私は「あの物語は藤沢周平の『玄鳥』を意識なさっているのですか」とお尋ねしたくてならなかった。完結し、書籍化の暁にはぜひと待っていたが、ついにその機は得られぬまま、葉室さんは彼岸の人となってしまわれた。

 私にとって、葉室さんは作家としての先輩であり、人生の師であり、同じ歴史小説界に生きる仲間だった。だが、そう思うことを許して下さった穏やかさは、決して私のみに向けられたものではない。先生と呼ばれることを嫌がった葉室さんは、常に他者を気遣い、その苦しみに寄り添おうとなさった。

「喜ぶ人とともに喜び、泣く人とともに泣きなさい」とは新約聖書・ローマの信徒への手紙の一節だが、私にはこの言葉がまるで葉室さんのためにあるかのように思われる。

 我々後進作家の成長を心の底から喜ぶ一方で、作品はもちろん随想にも目を通し、常に丁寧な意見を下さった。「この人に会っておくといいよ」と様々な方を引き合わせ、よりよい活躍の場を、惜しまず人に与えられた。それでいて決しておごらず、親しい友のようにお付き合い下さりながら、常に「正しく生きる」とは何かという問いを、我々に――そしてご自身に投げかけ続けられた。

 実は私は一度だけ、まったく仕事とは関係のない、個人的な相談をさせていただいたことがある。常に六、七本の連載を抱えてご多忙なお身体だったのだから、親子ほど年の離れた後輩からの「ご意見をうかがいたいことがあるのでお時間をいただけませんか」というメールなぞ、無視してもよかったはずだ。だが葉室さんは打てば響く早さで「三日後の何時に〇〇で」とお返事を下さり、新聞記者時代に培われた洞察力で以って、肉親もかくやと思われるほど親身な助言を下さった。そう、葉室さんは作家である以前に、一人の全(まった)き者として、他者とともに泣き、喜ぼうとなさったのだ。

 ところで『蜩ノ記』で直木賞を受賞なさった直後のエッセイで、葉室さんは尊敬する記録文学者・上野英信(うえのえいしん)氏を訪ねた日の光景を綴っておられる。客人をもてなすため、上野氏は近くの土手で土筆(つくし)を摘み、奥さまはそれを卵とじにして、焼酎とともに供された。

〈若いだけで、いまだ何者でもないわたしをもてなすために土筆を摘んでくださる姿が脳裏に浮かんだ。その時、古めかしくて大仰な言い方だが、「かくありたい」と心の底から思った。土筆はわたしの生きていく指針になった〉

 ああ、そうか。葉室さんはその時の思いを決して忘れず、我々のために「土筆を摘んで」下さっていたのだ。誰にも真摯に向き合い、手を差し伸べんとなさったのも、かく生きようと心に決め、最後までその誓いを守られてのことなのだ。

 人はどれだけの強さがあれば、かくも直向(ひたむき)でいられるのだろう。現世の苦しみにのたうち、人の世の醜さを目の当たりにしながらも恨みを抱かず、ただ青き空を仰ぐかの如く生きてゆけるのだろう。

『玄鳥さりて』の作中で、主人公・圭吾は旧知の六郎兵衛を、「どれほど悲運に落ちようとも、ひとを恨まず、自らの生き方を棄てるようなこともなかった。闇の奥底でも輝きを失わないひとだった」と評するが、ならば私にとっての六郎兵衛は――そして上野英信氏は、まさに葉室麟さんその人に他ならない。

 前述のエッセイの末尾は、「上野さんの背を追って生きたかった。だから『土筆の物語』を書いたのだと思う」という文章で締めくくられている。ならば私は今、後輩として、そして年下の仲間として、「葉室さんの背を追って生きたい」という一文で以って、この追悼文を終わりたい。

 葉室さんが生涯に渡って摘み続けた土筆を、我々もまた来たるべき人のために摘もう。それが何より、葉室さんの思いに応えることに違いないと思うからである。

新潮社 波
2018年2月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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