繊細な語りの構造を持つ正に一読忘れがたい作品
[レビュアー] 豊崎由美(書評家・ライター)
精神をいくぶん病んでいる老人ノアの孤独な魂を、切れ切れに挿入される回想や、やはり精神を失調させているらしい恋人からの手紙などによって、夜明け前の薄闇のような雰囲気の中、立ち上がらせていく『インディアナ、インディアナ』。南北戦争前夜、この世の地獄のような家に若くして嫁いだ女性の生涯を、求心力の強い語り口で描く『優しい鬼』。
英米文学界の目利きである柴田元幸が紹介、翻訳してきたレアード・ハントは、魂の叫びではなく魂の囁きに耳を澄ませ、登場人物の内なる声に耳を傾けるのに誠実な作家だ。そのハントが最新訳『ネバーホーム』で聞かせてくれるのは、南北戦争に従軍した女性の声なのである。
〈わたしはつよくてあのひとはつよくなかったから、わたしが国をまもりに戦争に行った。〉
そんな子供の作文のような文章で、物語は幕を開ける。南北戦争が勃発し、インディアナで農場暮らしをしていたコンスタンスが、ひ弱な夫に代わって、ダーク郡出身アッシュ・トムソンといつわり、北軍に入隊。〈いろんな水をのみたい、(略)。仲間たちといっしょに、ふるいかんがえの残がいのうえに立つ。千人いっしょに前へすすむ〉。夫と離れるのはつらいけれど、外の世界の見聞と国を守るための戦いへの期待に、胸はずませるコンスタンス。しかし――。
野営地での訓練を終えるや、繰り返される行軍と戦闘の日々。女の子に親切にしたエピソードによって、〈伊達(だて)男アッシュ〉というあだ名をつけられたコンスタンスは、おびただしい数の骨や死体を乗りこえる苛烈な戦いを経験することになる。そのさなかにあって彼女の心を安らげるのは、愛する夫との手紙のやりとりであり、今は亡き母親との語り合い。男並みの体力と射撃の腕前を備えた、一見強いコンスタンスが、実は心中深い場所に癒やされぬ傷を隠していることが、そうした訥々とした、だからこそ読者の胸に突きささるモノローグから少しずつ明らかになっていく。これはそんな繊細な語りの構造を持った小説になっているのだ。
朴訥とした声の中に、ふいに差し挟まれる詩のように美しい言葉たち。あまりにも深く傷ついているがゆえに、なかなか言語化することができない過去の出来事。意外な展開を見せるコンスタンスの行く末。感情をむき出しにしない語り口であるがゆえに、一層、読者の感情を大きく揺さぶらないではおかない結末。一読忘れがたい小説とは、この作品を指す。真っ直ぐに指し示す。