橋田壽賀子×石井ふく子 恨むヒマがあったら、感謝―91歳と92歳の人生観―〈『恨みっこなしの老後』刊行記念対談〉

対談・鼎談

4
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

恨みっこなしの老後

『恨みっこなしの老後』

著者
橋田 壽賀子 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、評論、随筆、その他
ISBN
9784103516118
発売日
2018/02/27
価格
1,080円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

【『恨みっこなしの老後』刊行記念対談】恨むヒマがあったら、感謝―91歳と92歳の人生観― 橋田壽賀子×石井ふく子

思い出のドラマ、戦争の記憶、老後の心構え、そしてこれからの仕事……。橋田流「自分を楽にする生き方」を記した『恨みっこなしの老後』刊行を機に、60年一緒にホームドラマをつくってきた二人が、あらためて語り合った。

プロデューサー・演出家の石井ふく子さんと脚本家の橋田壽賀子さん
プロデューサー・演出家の石井ふく子さんと脚本家の橋田壽賀子さん

 組んで六十年

石井 お久しぶりです。お電話はよくしていますが、お会いするのは、昨年秋以来ですね。

橋田 あの時は、お一人で熱海の山の中の我が家にいらしてくださいましたよね。ありがとうございました。

石井 私はいつも一人で動きますから。

橋田 あの日、あれこれおしゃべりした後、夕食は熱海の駅前の馴染みのステーキハウスへタクシーで出かけました。着いたら、店のご主人が「九十代のお二人だけで来たんですか」と目を丸くしてね。もう店中が大騒ぎになっちゃった。

石井 私たち、いつも通りに行動しているだけなのにね。年越しは例年通り、船上でしたか。

橋田 年末から十日間、「飛鳥II」のニューイヤー・クルーズで、グアムとサイパンを回ってきました。帯状疱疹がなかなか治らなくて体調はイマイチでしたが、船上でお餅つきができて楽しかった。私、お餅つきが大好きなのよ。

石井 わざわざ船に乗らなくても、お餅つきなら、熱海でもできるのにね(笑)。

橋田 それにしても、出会って六十年近くになりますね。

石井 橋田さんと初めて会ったとき、私は三十二歳。それから、本当に多くのホームドラマをご一緒させていただきましたね。一九九〇年に始まった「渡る世間は鬼ばかり」シリーズは二十七年も続いていますが、他にもたくさん思い出深い作品があります。
『恨みっこなしの老後』にも書かれていましたが、大家族を描いたドラマ「ただいま11人」(一九六四年放送開始)は、ご結婚のきっかけにもなりましたね。

橋田 主人(故・岩崎嘉一氏。一九八九年没)が企画部で、石井さんがプロデューサー、私が脚本でした。少子化の時代に大家族のドラマをやりたいって言うから、「おもしろい人だな」と思ったのね。

石井 橋田さんはいつも原稿が早い。私の仕事は脚本家を追いかける仕事ですが、橋田さんの原稿は、私を追いかけてくる。でも、ある日、締め切りを過ぎても原稿が来ない。「おかしいな。大丈夫かな」と心配していたら、恋患いになっていた。

橋田 そうなんです(笑)。それで、石井さんに相談したら、すぐに動いてくれました。

石井 だって、とにかく原稿を書いてもらわないことには、こっちは困っちゃうじゃないの(笑)。同僚の岩崎さんとは当時、会社の同じ部屋で働いていました。でも、こんな話、他の人に聞かれたら困るでしょう。携帯なんてない時代ですから、こっそり内線電話をかけて、「あなた、今、誰かいる?」。そしたら、彼は「今はいない」。あの頃は私も独身。彼はてっきり私に愛の告白をされるのかと思って、面食らったみたい(笑)。

 お給料目当てで……

橋田 石井さんが取り持ってくださって、おかげさまで結婚できたんです。だって、四十歳の行き遅れのブスの私が、四歳下の彼に自分で告白する勇気なんてないですからね。
 私はその頃、仕事がイヤになっていました。松竹で映画の脚本を十年やったけど、芽が出なくて退社。フリーランスになってテレビに転身したはいいけど、なかなか脚本が採用されない。このまま乏しい才能に鞭打って、生活のために働き続けるかと思うと、ほとほと嫌気が差した。岩崎のおおらかな人柄に惹かれたこともありましたけど、そもそも私は彼のお給料目当てで結婚したんです。

石井 彼はアメリカのドラマ「奥さまは魔女」「ベン・ケーシー」などの放送権の買い付けでも活躍しました。根っからのテレビマンで目利きでしたね。

橋田 主人が青春を捧げたTBSの創立記念日と私の誕生日が同じ五月十日。彼はそれが縁だと言うので、たった二カ月ほど付き合っただけで結婚したんです。

石井 橋田さんは、妻としてずいぶん尽くしていましたよね。

橋田 夫は筋金入りのマザコンで亭主関白。大酒飲みで、毎晩飲んで遅く帰ってくる。私はそれを寝ないで待っていましたからね。結婚してから、後悔したこともありました。加えて、結婚の条件が「俺はシナリオライターと結婚したんじゃない。普通の女と結婚したんだから、俺の前で原稿用紙を広げるな」。仕方がないから、夫がいない間に一心不乱に書いたんです。それで集中力がついて、NHKの大河ドラマ三本(「おんな太閤記」「いのち」「春日局」)、朝ドラ四本(「あしたこそ」「おしん」「おんなは度胸」「春よ、来い」。うち「おんなは度胸」以外の三本は一年間)など、たくさんのドラマを書けたと思っています。朝ドラをやると脚本家は体を壊すのが定説ですが、私は一度も病気にならずに済みました。家事と執筆の両立は大変でしたが、おかげで集中力がついた。人生、何が功を奏するかわかりませんね。

石井 昔同じマンションに住んでいたことがありますが、夜中に突然ピンポンが鳴る。夫婦喧嘩して、私のところに駆け込んできたりね。

橋田 あの時はご迷惑をおかけしました。私は「夫婦喧嘩も、いつかドラマの材料になる」と思っていました(笑)。

石井 昔はあなたも私もタバコを喫んでいたけど、あなた、ご主人には隠していたのよね。ある日、橋田さんの家で二人で相談ごとをしながらタバコを吸っていたら、急にご主人が帰ってきた。慌てたあなたは、とっさに自分が吸っていたタバコを私に持たせるものだから、私は両手にタバコ。仕方ないから、私が二本吸ってるみたいにして、場を繕ったこともありました(笑)。

橋田 「春日局」を書いている最中に夫が癌とわかって私は降板しようと思ったけど、石井さんが止めてくれた。夫が亡くなるまで、私の一番つらい時期を支えていただきました。石井さんは、仕事だけでなく、プライベートでも恩人です。

新潮社 波
2018年2月27日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

  • このエントリーをはてなブックマークに追加